今回は、街頭演説300回チャレンジの経過報告について、お話をさせていただきます。
300回の実施を目指す街頭演説ですが、1月15日までに205回を実施しました。
何回やっても、人前で大音量で話しはじめる時は、怖いです。
205回全てで、恥ずかしい気持ちに勇気をもって打ち勝ち、何とか実施することができています。
毎回1時間は絶叫してますので、この1年弱の間に200時間以上を街頭演説に費やしてきたことになります。
そんな街頭演説ですが、ぶっちゃけると、後半戦に差しかかり、僕は心身ともに疲弊してきました。
恐らくは、今が一番苦しい時期なんだと思います。
なぜこんなに苦しいのかということについては、察しがついています。
僕の自意識過剰です(笑)。
僕は、「これでダメだったら浅野内匠頭じゃないけど腹切ったつもり!」というぐらい、街頭演説やこのブログも含めて、政治家としての仕事に心血を注いできました。
今回のブログの記事で176回目の更新になりますが、1つの記事を書くのに、粘着質な僕は2~3時間程度を費やします。
単純計算すると、400時間以上をブログの発信に使ってきました。
街頭演説と合わせて、メッセージの発信に600時間以上をかけてきました。
政策の調査・研究や議会での議論も、みっちりとやってきました。
自称疲弊野郎になってまでも、この苦しみに立ち向かい続けるのは、社会の課題をみんなで共有し、そのことについてみんなで考えていくことができれば、僕たちの社会がより素晴らしいものになると信じているからです。
こうやって文字にしていくと、自らの活動に極めて高度な内発性を感じます(笑)。
それはさて置き、ここから先が問題です。
僕が多大なエネルギーを社会のためにという想いで燃やしてきたことや、その活動が生半可なものではないということは間違いないことなんだけど(自分で言ってしまいます)、疲労の蓄積によって僕の主観が強くなりすぎています。
こんなにキツいことにもかかわらず自分がどれだけ頑張っていることか、という自己愛に溺れているような感じになっています。
その主観と周囲の反応のギャップが苦しいです。
より具体的に言えば、主観が強くなりすぎている僕は、街頭演説中に感じる嫌悪や軽蔑の眼差しによって毎回こころがグチャグチャになっています。
冷静に考えれば、街頭で大音量で持論を述べるやつに、迷惑を感じる人がいることは当たり前だし、そもそも、人の感覚を僕が左右しようなどということが馬鹿げています。
・・・が、「周囲から自分の活動はもっと正当に評価されるべきだ」という感情が、あばれる君と化してしまいます。
寒いし、キツいし、恥ずかしいのに、それでも社会のためになるという想いで話しているのに、なぜわかってくれないんだという気持ちになります。
けっこう頭のいい自分が必死で考えてこの活動をしているのに、どうしてその背景を想像してくれないんだという気持ちになります。
こんなに辛い想いをしてこの活動を続けても、何の成果も得られないんじゃないかという気持ちになります。
これはもう、完全に自分への甘えです。
僕がどんな人間かも知らない人たちに、そんなこと考えてもらえるわけないんだから。
街頭演説が、自分の価値観を一方的にぶつけているだけだということを忘れちゃいけない。
そういうことだとちゃんとわかってます。
・・・だけど、わかっちゃいるけどやめられない(笑)。
感情のあばれる君がスーダラ節を歌って踊ります。
よって、しばらくは、あばれる君と向き合うしかないと確信しています。
そして、このあばれる君の攻略についても検討を進めています。
暴君の攻略と言えば、裸走りの大家であるメロスさんを参考にすべきです。
必ず成果が出るとわからなくても、途方もない道のりに感じられても、諦めてしまおうという弱い自分が現れても、目標への到達を信じ、勇気を出して、ただ一歩の歩みを積み重ねるべし。
兎に角、やるしかない!
セリヌンティウスよ、待っていろ!
街頭演説300回チャレンジはまだまだ六合目。
残り95回、全力を尽くします。
街頭演説をするしがない政治家の葛藤を赤裸々に語りすぎたことに気づき、勇者はひどく赤面したことを報告させていただき、今回の記事の結びといたします。