私は32才で息子を産みました




息子は普通よりも 


大きな体で生まれました




しかし、生後まもなく


アトピー性皮膚炎にかかってしまい




息子と共に


死のうかと思うくらい辛い


闘病生活を経験しました




実家の母は


一切、助けてはくれませんでした




生まれた時に


赤坂の山王病院には


駆けつけてくれましたが…




息子が4才になるまでは


一度も助けてはくれませんでした




息子が4才になったとき


アトピーが良くなってきた頃です




息子の看病の疲労と


別れた夫が押し付けてきた


1億7500万円の


借金の苦しみから…


小脳の働きが悪くなり




顔面麻痺になって入院をした時に


はじめて母は実家で


息子の世話をしてくれました



それが、初めてでした





アトピーで苦しんでいる時に


唯一、私を助けてくれたのは


1回目の夫の母でした




しかし、義母は


たくさんの仕事を抱えている


バリバリの


キャリア・ウーマンでしたから


頻繁に助けてもらうことは


出来ない状況でした




しかし、


そのありがたい援助も


息子が一才の時に無くなりました




松は息子を抱えて


家を出ましたからね



義理の母ですから


お母さんの力は


借りられなくなったわけです





息子を連れて…


アトピーの名医と呼ばれる


医師達を渡り歩きました





しかし、医師が出すのは


だけでした




その薬は、


恐ろしいステロイド

厄介なステロイドですよ




可愛い我が子に飲ましてたまるか

柔らかい肌に

ステロイドを

塗ってたまるか





ステロイドは…

柔らかい子供の肌の方が

吸収率は高いわけですからね




松はすべての


捨てていました



そして、決意したんです




医者には頼らないと決めたんです


息子の体のすべてを知っているのは


母の私🤱しかいないと


気がつきました




だから、


私が息子医師になると


決めたんです




たくさんの食物日誌が


東京の家にはありますが…



食物アレルギーを持っていた息子でしたから



食べた後の


体の状態の記録をつけていきました



だって、、、


私が息子の医者だと決めましたからね



舐めるように


息子の体を大切に大切にして


私は彼を育てあげました



命懸けで

私は息子を

ひとりで育てました




だからできましたね…🤱

自分よりも可愛い息子だからできました





まだまだ…


お話は続きますよ✍️