遅くなりましたががんばって更新するぞっ
-第3回探検-
【期日】6/1
【場所】矢切神社周辺、矢切の渡し、帝釈天、柴又周辺
【メンバー】荒木、須川、野中、間
松戸探検隊は晴れ男が多いのか、6月に入ったがこの日も気持ちよい晴天。
絶好の「渡し」日和となった。
おっと、川を渡る前に矢切地区についてさらっとおさらい。
地名としては歴史的文章に「やきり」と濁らず書かれているが、駅名、バス停留所名は「やぎり」と濁り、『矢切の渡し』も「やぎりのわたし」と読む。「やぎり」と連濁するほうが自然だからという理由らしい。
名の由来は多々あるが、有力説の1つとして谷が切れたところの地形を表す「谷切れ」という言葉からきているというものがある。
ちなみに府中市の多摩川流域の「矢崎」や横浜市の鶴見川流域の「矢向」など、川沿いには「矢」のつく地名が多いそう…などと雑学も学んで知人に近づこうではないか。
この矢切、戦国時代には北条氏と里見氏による国府台合戦の戦場となった場所であり、この付近から市川市国府台付近にかけては同合戦にちなむ伝説や史跡が多く伝わっている。
そのうちの1つ、矢喰村庚申塚の由来という石碑。

「(国府台合戦の災難による)苦しみから弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれ、親から子へ、子から孫に言い伝えられ、・・・」
との記述。ちなみにこれは俗説と言われる。先ほどとどちらを信じるかは、あなた次第。
そして近くに矢切神社、野菊の墓。
細川たかしの「矢切の渡し」のヒット後観光客数はピークを迎え、このあたりから渡し場まで馬車が走っていたという。
現状は鬱蒼とした森に人の陰も無く、肝試し的フレーバのする場所。
果ては宜保愛子の話題となる。
そんな探訪の始まりだが、ふと眼前が開け、江戸川低地の広がり。

矢切の地名が示すように、松戸は江戸川流域、台地と平地の間に発展した町。
ゆえに斜面緑地やこういった視点場が豊富なのである。
そしてその緑は街中に今もなお生き続ける。
坂を降り、川方面へ。
途中、素晴らしい菜の花やらに出会う。

松戸市ボランティアの方々が植えた花壇だそうだがとても親身に対応してくださり、大学の戸定祭で購入した種を植えたらこんなに大きく育ちましたよ、と嬉しそうに語っていた。
緑のまちづくりの種はどこに眠っているか分からない。

矢切の渡しは松戸と葛飾区柴又を往復する渡しで、始まりは380余年前江戸時代初期にさかのぼる。
当時江戸への出入は非常に強い規則のもとにおかれており、関所破りは「はりつけ」になろうという世の中だったが、江戸川の両岸に田畑を持つ農民はその耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡船で行きかうことが出来た。
これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる「農民船」である。
明治以降は地元民の足として、また自然を愛する人々の散歩コースとして利用され現在では唯一の渡しとなっており、その庶民性と矢切の里の素朴な風景は、千葉県の生んだ歌人でもあり小説家でもある伊藤左千夫の小説”野菊の墓”の淡い恋物語の背景として美しく描かれている。
現在観光客は平日だと1日あたりおよそ100~200人。
客単価150円(片道)。
そんな中、船頭さんは1人で切り盛りしているそう。
文化継承は素晴らしい。が、その重みを誰かが背負わねばならぬ。
ちなみにこのおじさんは手作りの「草鞋」をつくり続けていて、先日民放で取り上げられたそう。
我々は応援することしか出来ないが、出来るなら繁く足を運びたい。
何度でも渡りたい。

だって楽しい。

だって心地よい。
松戸を支える江戸川に、ぜひ身も心も浮かべて来て欲しい。
対岸は東京都、葛飾である。
観光地として有名な帝釈天へ赴いた。

立派な松でござる。
帝釈天とは日蓮宗の寺院の通称で、正式の山号寺号は経栄山題経寺という。大客堂は平成14年、東京都選定歴史的建造物に認定されている。
さすが平日午前なのに観光客は多めである。
その参道が町並み保全されていた。(東京なのでさらっと)

この「寅さん」お膝元の門前町柴又、シンボルの銅像が駅前に。

この銅像は渥美清の死により『男はつらいよ』シリーズが終了したことにより、「寅さん」および渥美清をたたえて立てられたものである。
ここでどれほどの青年達が哀愁漂うそのポーズを疑似しただろうか。いや、自分たちも…そうせざるを得なかった!!(その模様はC棟1F掲示板、探検隊新聞を御覧下さい)
柴又の店に数件寄り、寅さん記念館の前を通り、松戸へ戻る。詳しくは省くがこの回、ここで時間の大半を使った。メンバーの親睦が深まった時間といふことで。
最後に2つほど松戸の土木遺産へ。

柳原水閘。
設計は井上次郎、江戸川流域坂川の治水を目的として明治37年竣工。四連アーチ構造の美しい煉瓦造り。
大きさは河川横断方向17m、河川縦断方向13m。材質はアーチ部分が煉瓦および石造り、橋脚部分が石造り。
現在は水閘としては使用されていないが文化財として保存され、1995年松戸市指定文化財に指定、2004年100周年記念式典とともに土木学会選奨土木遺産に認定、2007年経済産業省によって近代化産業遺産に認定されたものである。
このファサードをアシで隠すことは恣意的なのか、遺産景観としてどうなのか、議論となった。
個人的には当時の土臭さや生々しさが緑という彩により隠蔽されていると写真を見直していて感じた。
皆、どうだったろうか。

続いて栗山配水塔。
1937につくられた上水道施設であり、2006年土木学会選奨土木遺産に認定された。
ドーム状型の高架水槽で、頭頂部に4本柱の換気口をもち構造は鉄筋コンクリ。
高さ32m、内径15m、貯水容量は3534m^3であり、現在も利用されているものである。
…遺産なのに、なぜ公開しない!!
門の外で4人、それでも隙間から必死のスナップショットであった。
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-番外編-
【期日】6/14
【場所】聖徳大学
【メンバー】荒木、野中、間
聖徳大の「楽習フェスタ」に潜入。
当日の行動…
シンポジウム参加(3つ)
健康学の先輩方と食事
14階より松戸市内を俯瞰、パッチ状に残された斜面緑地を認識
女子大生の現状調査、交流 など
こんなところです。
次回は北小金、どうやらアジサイが見頃のようです。
(終了しました)乞うご期待!!
(終了しました)参加希望→muzyakinakankei@hotmail.co.jp までお気軽にどうぞ!
野中