30代になった所感を書きたいなあとずっと思っていて、ダラダラと、もうすぐ一年が経ってしまう。
子育てについて何か良い想いを書きたい、少しカッコつけたことを書きたいってずっと思ってきたのだけど 子どもを前にするとその圧倒的な現実に、恥ずかしくて何もそんなことを書く気にはなれない。
たった三年間だけど、毎日そうだから、それこそが今の自分にとってリアルなんだろうなあと思う。
愛着とは何だろうと、糸が産まれてから考え無かった日はない。
産まれてからしばらく、赤ちゃんのその何もできなさに、びっくりしてしまった。「赤ちゃん」なのだから当たり前なんだけど、寝ること、ミルクをあげること、オムツを変えること、抱っこすること、抱きしめること、自分のことで精一杯だったひとりがひとりの人間を抱えるということ。
これだけの時間と体力を受け渡しても、この時期に愛情を感じられないと精神的な病にかかる確率が上がるという話には正直に言ってかなり目が眩んだ。
人は本当に貰った分の愛情しか与えられないのだろうか。
信頼する上司から、「お釣りが出るほどの、溢れるほどの愛情を与えてあげてほしい」と面談の時に言われた。
でも愛情には本当に限りが無くて、福祉という職業柄色んな環境にあった人とお話しするけど、何がその人の救いの一手になるんだろうと考えてしまう癖がついた。
お母さんが厳しくてヒステリックだと話していた友達を思い出す。離れて暮らしているお父さんの方が好きだと話していた同級生のことを思い出す。妹が一番の親友だと話していた子の姿が目に浮かぶ。
2歳になって、動画を観るようになった糸。
ストーリーがあるもので、初めにハマったのはこの話…
あんぱんまんが、ジャムおじさんとバタコさんのもとで産まれて、歌を歌ってもらったり、たくさんの子どもたちがいる広場に連れ出してもらう傍らで、同じ日に産まれたバイキンマンは一人きりで曇天の中重機を作るシーンが一瞬映るのである。
バタ子さんの「美味しいパンを、作ろう…」がリフレインする中でなんだか妙に切ない気持ちになってしまう。(情緒)
だが別に人として優しくなったわけではない。
職場の先輩が、とんでもない人からの電話を受けていた時の話。
私は暴言を吐かれた時に、態度には出さずとも心の中で暴言を吐き返しているタイプなのだが、先輩は頭がいい人で、「自分たちがぬくぬくしている傍らで、社会から守られなかったゆえにそのままひどい大人になっちゃったんだよねって考えると、自分もその一員なんだなって思う。いわば社会が産んだ悪魔、アクマチャンダネ!!!!」
って話していて、多分普通に先輩は人間最終回だとは思うんだけど、たしかに、子どもの姿で注がれなかった愛情を想像してしまうと、なんだか無性に泣きたくなってしまう。
かと言って、自分が100パーセントの愛情を捧げられているのかと訊かれると、いつも自信が持てなくて、それがここ数年で急激に老けた理由な気もする。
…と
ここまでの日記をこういう状態で書いていた。
【お風呂上がりビールやないかい】
完全にゾーンである。
月に1回、お迎えに行ってもらえる日があれば、仕事終わりに一杯のコーヒーと一杯のお酒を飲む。
読書をするか、映画を観るか、可愛い洋服を見るか、お風呂に浸かるか、気分で決める。
30にもなって相変わらずふらっと人のことを誘えず、誰かに「今ひま?」と聞く自分を想像してみたりするけども、結局一人で過ごす。
寂しい性格だなあと結構最近まで思っていたけど、孤独と肯定的に向き合う言葉を「ソリチュード」というらしい。ソリチュード、良い言葉だなあ。最近知った言葉の中で一番気に入っています。
取り止めもなくなってきてしまった、そろそろ終わります。
今回のブログのタイトルのbye purityは、林檎ちゃんの曲名から取りました。
もともとのシングルの曲名は『さらば純情』なんだけど、youtubeではそのタイトルが『adieu innocent』、アレンジ版が『bye purity』として載っていて、おしゃれだなあと。
2024年で一番聴いていた曲でした。去年のLIVEで生歌聴けてとても嬉しかった!
これに追加で、『ありきたりな女』もとっても良かったです。
松たか子ver.の方が好きなのでこちらを。
この曲を松さんに歌わせるってとこがとても良い…
母になることへの葛藤、持ってもいいんだなあと思わせてくれた、当時の私にとっての救いの一手でした。
最後は歌詞引用で。
さよなら、あなた不在のかつての素晴らしき世界。
GOOD BYE。
うんうん、″あなた″は不在なんだよね。

