7月中旬に発表すると、自社の不祥事に対する調査結果を引き伸ばしている最中、今回の件で抗議と非難が集中しているネット、特に2ちゃんねるの印象操作しようとしているかのような記事に、2ちゃんねる上でも「変態新聞が言うな」など、罵倒の嵐になっている。

ショートメール:「テラワロス」? /静岡


~「テラワロス」。インターネット掲示板サイト「2ちゃんねる」などで使われているネット用語だ。「テラ」は国際単位系における接頭辞で「1兆倍」、「ワロス」は「笑えた」という意味で、合わせると「すごく笑えた」となるそうだ。

 東京・秋葉原で先月8日に発生し、17人が死傷した無差別殺傷事件。私は事件発生直後から、容疑者が派遣社員として働いていた裾野市の自動車工場などを取材した。

 工場を携帯電話のカメラ機能で撮影する20代の専門学校に通う女性がいた。静岡市から御殿場市に買い物に向かう途中工場に寄ったという。「自分が不細工だからって秋葉原にトラックで突っ込むって、なんか笑える」と話した。

 容疑者の自宅マンション前で取材していた後輩の記者によると、夜に若い男性が車に乗ってやって来て、容疑者の部屋を女性と同じように携帯で撮影した後、「テラワロス」と叫んで帰って行ったそうだ。

 17人が死傷した事件を「笑える」と言い切れるのは何なのか。事件はひどいが、それを見つめる人の目も怖い。「モラルの崩壊」という言葉を肌で感じた。【浜中慎哉】~


仮にこの記事で語られている事が事実だとしても、「テラワロス」という2ちゃんねる用語を引き合いに出すことで、2ちゃんねるを利用している人間=モラルの崩壊と印象操作しようとしているようにしか見えず、ただ一人の記者の伝聞だけで、秋葉原の事件を笑い物にするような異常者のような、極端に偏った偏向報道だ。

そして、2ちゃんねる利用者の中にも、秋葉原事件の慰霊所で不幸に遭われた方に手を合わせている人間もいるはずだ、それを、自社の不祥事をネットで厳しく追及され、広告主にまで批判の電話が掛かっている状況でこのような「偏向記事」を出せば、毎日は、反省すらせず、ネットへの意趣返しをしているとしか取られない。

それに、事件後とは言え、犯人のアパートに報道によって住居が明らかになった時期にまで張り付く必要性が感じられない、それこそ、報道による周辺地域への迷惑行為ではないのかと感じる。

要するに、批判する資格はメディアにしかなく、メディアへの批判は許さないかのような異常な特権意識で、世間の動きに敏感でなければ務まらない記者が、世論も見えないほど「近視眼」的になっているとも感じる。毎日が行ってきた、日本人差別・捏造記事にしっかりと世論が納得する形で答えなければ、何を言っても嘘臭いと感じる。

と、ここまで、この記事が事実であったと仮定した批判を書いたが、この記事は捏造の作り話ではないかと疑っている。なぜなら、この「テラワロス」というネット用語が流行っていたのは、かなり以前で、最近ではあまり目にしない事と、そもそも、ネット用語で会話すると言う事がありえないからだ。

キー入力する文字と、会話で使う口語が、一致する事もないし、また2ちゃんねる利用者は、自分が2ちゃんねる利用者である事を隠す傾向にある、その辺から見た状況的考察と、毎日新聞は過去にも、このような見てもいない、聞いてもいないことを記事にした実績があるからだ。



メディアに不信感を抱いている人間ならご存知だと思うが、「ナヌムの家」の記事での、常識的にありえない捏造、そして、捏造と言う記者が絶対に行ってはいけない「モラルの崩壊」に対して、解雇処分もしていない企業だからだ。

その証拠の画像を掲示しておく。


ナヌムの家


~「好きでやったんだろう」 「売春婦!」 「うるさい、最後まで見ろ!」
先月14日、東京・中野のBOX東中野で開かれた試写会でとげとげしい、やじが飛んだ。韓国の元従軍慰安婦たちの現在を追うドキュメンタリー「ナヌムの家・パート2」が 上映されていた。
 やじっていたのは、客席前方に陣取っていた中年の男性2人組だ。会場は騒然となり、 収集がつかなくなった。そのとき、会場にいた元慰安婦の女性がすくっと立ち上がって、 身の上話を始めた。
 日本軍に連行される前からもつらい暮らしだったこと。父親は酒乱で、よそに女性がいて 母親を顧みなかったこと。たまに帰宅すると子供たちに暴力をふるったこと…。
 場内は水を打ったように静まりかえった。さて、くだんの男性はというと。なんと、体をがたがたと震わせているではないか。
 「もういい、帰るぞ」
 そのひとは精いっぱいの強がりを吐いて、会場を出ていった。 友人が「ちょっと感動的でね」と教えてくれた。「ナヌムの家」(パート1、2)の 劇場公開は今月14日から。 【佐藤由紀】 ~


ナヌム訂正


~4日憂楽帳「ナヌムの家」の記事中、BOX東中野で先月行われた試写会でとげとげしいやじがあったとあるのは、一昨年の別の試写会での出来事でした。先月の試写会は 平穏に行われました。また元従軍慰安婦の女性が身の上を語ったとあるのは、 映画の中のことでした。確認不足のため関係者にご迷惑をかけたことをおわびします。~


このように、有りもしなかった事を有ったと言い切った、この佐藤記者は、今でも毎日に在籍しており、それどころか海外の特派員になっている、新聞社の記者にとって、特派員と言うのは普通「栄転」で、いまでも海外からの記事を書き続けている。こちらのほうが毎日新聞社の「モラルの崩壊」を肌で感じる事ができる。


さらに、こんな問題もある。

毎日新聞社4億円所得隠し


記事引用はしないが、国税局に悪質な資産隠しを指摘されており「脱税」だと見られてもおかしくない会計処理を行ったと言う事だ、ところが、この問題は「毎日.jp」では、記事になっていない。もしかすると、素早く記事削除しただけで掲載したのかもしれないが、今現在アーカイブに残っていない。

「記者クラブ」という、国民の税によって、利益供与を受ける特権に座っていながら、脱税をするような企業にこそ「モラルの崩壊」を感じる。


と、このように、過去の不祥事を使って、毎日がしたような手口(こちらは捏造の疑いではなく、ちゃんと情報ソースを提示しているが)で、このような反論もできる。

毎日は、自社の行った問題に対して、きちんと納得できる発表をしない限り、記事一つ一つにこのような批判が集中する、それは、言論機関として致命的だ。

「言葉の重さ」を失った新聞社に、人に何かを「マスコミ」として伝える事は難しいと感じる。