古事記の国生みと長唄「七福神」① | 群馬の日舞・三味線教室 松景久若お稽古ブログ

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こんにちは高崎市で日舞とお三味線のお教室をしております、松景流の松景久若でございます

前回、チームミーティングと古事記についてふれましたので、予告通り今回は、長唄「七福神」の内容についてすこし

この曲は、享保の頃のものとも言われており、長唄としては最古の曲のひとつとも言われます。
もともとご祝儀ものとして演ぜられたもので、「七福神」とはいいながら、出てくるのは2人だけ。
恵比須様と大黒様です

恵比須と大黒の二人での踊りだったということですが、現在ではひとりで仕分けて、素踊りでも踊ることも多い一曲。

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大黒様についての説明は曲の中で出てきませんが、前半は国生みから蛭子(恵比須)の出生がうたわれ、恵比須の舞。後半は大黒の舞で、「引く」事に縁のあるものを集めた引くもの尽くしとなります。

恵比須様と大黒様は、もともと恵比須舞大黒舞というように、御神楽でも舞があり、一組で信仰される事が多かったようです。
もともとは漁業の神様である恵比須と、五穀豊穣の神様である大黒ということからなのかもしれませんね

恵比須様の舞である前半から…




〈歌詞〉
それ伊弉諾(イザナギ)伊弉冉(イザナミ)
夫婦寄り合ひ 
漫々たる和田津海(わだつみ)に 
天の逆鉾下させ給ひ 
引上げ給ふ  そのしたたり 
凝りかたまって  一つの島を 
月読(つきよみ) 日読(ひよみ) 
蛭子(ひるこ) 素盞鳴(すさのお)儲け給ふ 
蛭子と申すは恵比須のことよ 
骨なし皮なし益体(やくたい)なし  
三年(みとせ)足立ち給はねば 
手繰りくりくる来る船に 
乗せ奉れば  蒼海原に流し給へば
海を譲りに受取り給ふ 
西の宮の恵比須三郎 
いともかしこき釣針おろし 
万(よろず)の魚(うお)を釣りつった姿は
いよ扨(さて)しをらしや 


前半恵比須の舞は、日本神話の国生みからのお話。
伊奘諾の命と伊弉冉の命は、天逆鉾(天沼矛)を渾沌とした大地に降ろしてかき回し、鉾から滴り落ちた滴が島(おのごろ島)になったという部分をうたいます。
そして恵比須、子とは数えられていないけれど、二人の間に生まれた蛭子…

古事記では先に生まれたことになっていますが、日本書紀では天照大神や月読、素戔嗚などとともに生まれた事になっており、月読(ツクヨミノミコト。ここでは歌では「つきよみ」とよんでいます)、日読(天照大神のこと。ひよみ)、蛭子(ひるこ)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)とうたいます。
蛭子のその後についても古事記には詳しく語られていなかったと思いますので、やはり日本書紀の方から取っているのでしょうか

蛭子は「骨なし皮なし益体なし」とあるように、不具の子であり、三年立つこともできず、葦の船にのせられて海に流されてしまいます。
その後どうなったか…
一説では、兵庫の西宮ちかくの海にたどり着いた蛭子は、そこで夷(えびす)三郎として大切に育てられ、日月の神と共に生まれた神様として祀られ(西宮神社)、海の護りを命ぜられたものとして、福をもたらす神様とされたという説もあるようですので、そこからこういった歌詞が生まれたのでしょうか

古事記と日本書紀…
学校の授業で学んだ程度の知識しかないですが、同じような時期に書かれ、内容が異なると何が何だかわからなくなる

ゆっくり内容を学んでみたいなぁと思ってしまいます
またまたせっかくなので、次回は七福神の後半を



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