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ここニッポンにおいて、FPA、GPFは互い独立した機関にあっても、FAP主流にして、、、まぁ言うなれば、FAP下にGPFがあるかのような本末転倒(主管性転倒)した流れにある。

GPFの代表代行的なガキが、FPAに傾倒してるとの噂が流れてる中、あらゆる宗教性(一神教性)をもって統括させなあかんFPAの潮流もないなってくかのように、澱んで濁り、統一教の信徒の巣窟化してる現状をどう打破させてくんやろか?!

GPF、、、Global Peace Foundation、、、ここの平和運動は、人種、国籍、宗教、文化に関係なく、皆が One Family under God の下、力強く湧き上がる理想のビジョンを共有させる。

韓民族の「恨」「精誠」は、犠牲的愛の源や。コリアン・ドリームが描く統一を実現させ、犠牲的に分断された中、アイデンティティーの葛藤の苦しみにあるもんをひとつにさせなあかんねん。その先例をつくり、世界平和に繋げさせる責務がある。

韓国のGPFは、統一問題に関心ある300以上のNGOの連合体(統一を実践する人ら)AKUの設立を主導し、幅広い社会的支持を目的に、誰しもが共感し得る普遍的ビジョン、原則や価値に基づいて活動してる。

韓国の歴史と文化には「One Family under God」の理想が根付いてる。これからの新生統一コリアは、理想的模範とならなあかん。その可能性が大きい。

韓民族の内面に宿る霊的悟りは、久しい歴史を通して生活に密着し、民族の文化に表した。それが、道徳的な個人から国家の礎となってきたわけや。世界を「One Family under God」に導く宿命下に「弘益人間」実現が、義務を超えた召命感で達成させる。

誰も自分が生まれ育った所で培われる経験や実績、先人が残した遺産から自由になるんはしんどい。戦後、経済発展に進路を転換したニッポンは、有史以来、One Family under God における文化を表したもんがない。限定された所にはあっても社会現象に至るもんではない。

せやから、ニッポンを取り戻す言うてどこに向かうかとなれば、多神多霊多仏の神性霊性仏性をみそもくそごっちゃまぜにした伝統を奨励さすしかない。そこで権威を作り上げ、それを最高神最高霊最高仏に祭り上げてくことで、限りなくそこに近いもんが権威を借りて権力を分ける。権威の前に服従し、権力の前に忠誠を尽くすもんに美徳を感じてる。

統一原理や言うてニッポンの伝統文化、慣習に照らし合わせてくが、根本的なひとつの天、唯一なる神の基軸が立てられへんから、遠ざかってく現実を尻目にただ生きんとして生きてくような見解を正当化させてくようになってんねん。

現実を目の当たりにした権力の前に義務感として生きんとして生きようと自己否定するが、義務感以外から否定されることを嫌う。ひとつの天や神の基軸が頭の中にあっても目の当たりにできひんから、生きんとして生きようとする衝動に絡められ、相手の善意は見えず、人間の両面性がある悪意を見つめては貶めて生きんとして生きようと「嫌」を剥き出しにする。

み旨、摂理を絡めても空回りする現状を打開できるんか? とりあえず、統一教と分離する為にFPAを作り上げ、また統一教仕込みを剥き出しにならへんことを、、、

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