
総合体育館の避難所前まで車で行く事ができました。
体育館前と、横で若い方がたき火をして暖を取っていました。
中は、小体育室、大体育室、柔剣道場、廊下などにギッシリと敷物がある。
昼間だったので、若い方は外に出て何か活動。中に残っていた方は
お年寄りが中心でした。
犬は最初避難所に入っていたもの、現在は外につないでいる状態。
体育館まで車で来た方は車にいる人もいるようです。
物資は最初何もなく、毛布などが届いたのは3日目くらい。
3日目には1家に1枚くらいの毛布は来たらしいです。
4日目には、兵庫県からの毛布の配給が届き、1人1枚くらい
使えるようになって助かったようですね。本当に寒かったようです。
初日は何も食べれず、2日目にとても薄いスープが一杯だけ。
そのスープは自衛隊の支援でなく、被災した方々の中から、
ボランティアで、旧保育所関係の方などが調理作成。
日蕨地区の残った家から醤油や塩などをかき集めたり
してなんとか作ったらしいです。2300人くらいの方が集まっていた
状況ではかなり大変でしょう。3日目に、安住町長が米を自ら調達してきて
くださったそうで、それをおかゆにして、梅干しやごま塩などのちょっと
あったもので食べられるように。その後、サンマの提供もあったそうで、
サンマ汁も食べられ美味しかったとのこと。
当日から、お水だけはあったそうです。飲料水は1人1回コップ1杯ですが、
配給が受けられたそうです。(1人何回でもできたそうです。)
4日目に衣類の配給があり、65歳以上の方に1人2枚ずつ配られた
そうです。また、ボランティアの組織の方が、食事などを配ってくれる
ようになったとのこと。このへんからは、自衛隊からの食料補給なども
来るようになったようです。
実際に私が行ったときも、自衛隊のヘリコプターが総合体育館に降りてました。
(町立病院にも直接降りて補給をやっておりました。)

日蕨では奥の沢から流れる水を使った、自作の水道が出来てました。
水はあふれるように流れており、日蕨の人はもちろん、ペッドボトルなどの
容器がある方は、総合体育館からも5分程度で歩いて来れるので、
水を汲みに来てました。
この水道、及び、日蕨の奥から体育館に通じる道は、ある個人の方の
敷地を開放して、避難所と地域の皆さんのために提供してくださっているようです。
本当にありがたいです。
本当に大変な状態です。
被災に会われた方に心よりお見舞い申し上げます。
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