特に何の意味もないけれど、ブログというものを書いてみたくなった
私は元来、こまめに記録を付けるのは苦手な質だ
しかも筆が遅い 想像力もない 面白い話のタネなぞありゃしない
私の脳内をそのまま文字に起こせば、文法だって支離滅裂になる
おそらくこのブログも不定期更新だろうし、この一回でお蔵入りになるかもしれない
何よりTwitterで呟いていることと内容が大差ない
実につまらない
この書き出しを読んで踵を返した者たち、実によろしい
そのまま直近三分の記憶を抹消して、己の輝かしい人生を歩んでいかれるがよかろう
ただ、ツイートは投稿したそばからTLという川をどんぶら流れていくが、ブログは魚籠の中に捕らえておくことが出来る
私はこまめに記録を付けるのが苦手な質であるが、また同時に何事も文字なり写真なり物品なりの何かしらの形で思い出として残したい質でもあった
いわば備忘録である
その時その時の心を缶詰めにし、それを見返すというのは、自分を客観的に見ることが出来てなかなか愉快なものだ
閑話休題
槇原敬之について語ろう
親が彼のファンだ
祖父母の家に行くとき、買い物に出かける時、旅行に行くとき
車の中では彼の歌がかかることが多かった
自然と耳になじみ、いつしか私もファンになった
英才教育である
槇原敬之は、何度も麻薬の使用や所持で逮捕された人でも知られている
私も知っている 実に悪いことだと思う
かといって麻薬の呪縛から逃れるのは簡単ではないし、前歴があって尚彼の作る歌が素敵なことも知っている
「どんなときも」「もう恋なんてしない」「世界に一つだけの花」は有名だが、私は「僕が一番欲しかったもの」や「四つ葉のクローバー」も好きだ
彼が持つ優しさを存分に感じることが出来る
優しい人は、辛い人であるとも思う
現実は、歌のように甘くはない 歌うことで変えられるものもあるだろうが、歌ですべては変えられない
優しくて甘さを捨てきれない人は、そのことに酷く傷つく
それがダメというわけではない 今の世に合っていないだけである
歌に沈み込む、という体験をしたことはおありだろうか
一時的に自分を構成する要素の一切合切を歌に委ねて、現実逃避することだ
歌に沈み飲んでいる間、自分は曲の中の登場人物になり、音色になり、歌声になる
槇原敬之もそうせざるをえなかったのではないか
優しさが故に 麻薬の力を借りてまで
一つ断っておくと、全て私の推測であるので真に受けないようお願いしたい
さて、ここまで読んで下さり感謝する
さぞや時間の無駄遣いになったことであろう
これは見世物ではない、自己満足だ
良い感情や言葉を選りすぐって出すTwitterなぞとは違うのだ
(そもTwitterがそんなに高尚なものでもない、という意見にはさすがにぐうの音も出ないが)
分かったらさっさと立ち去るがよろしい
次回はこの三分の一、いや四分の一の文章量になっていることだろう
お天道様に中指を立てつつ、私はここらで失礼する