松井伸一さんの思い出 今週のポピュラーベスト10
「レッツゴー! 元日本洋楽研究会」の野中規雄さんのブログを見て松井伸一さんが亡くなった事を知りました。悲しい気持ちでいっぱいです。松井伸一さんは九州に置けるミスター洋楽的な存在な方であったと思います。松井伸一さんには思い出があり、振り返って思い出す事が多かったです。 私は高校生までは山口県の東部の瀬戸内の町で育ちました。中学2年生の時、洋楽に触れその魅力にどんどん惹かれて行きました。そのきっかけは、ポールマッカートニーとウイングスの「あの娘におせっかい」と言う曲でした。1975年の時です。あの頃の最大の情報源はラジオと雑誌「ミュージックライフ」で、ミュージックライフは次の号が出るまで、毎日繰り返して読んでました。なのであれから50年弱経った今でも覚えている表紙がけっこう有ります。しかしこの記事を書いてて今思ったのですが、50年弱って恐ろしいですね。感覚的にはついこの前の出来事のような感じがするんですけど。 何か新しい洋楽の情報が欲しくてラジオもとにかく聞きました。その頃はまだ大貫憲章さんの「若いこだま」も始まってなかったと思いますし、渋谷陽一さんの「ヤングジョッキー」もまだやってなかったと思います。 愛媛の松山の南海放送は地元の山口放送より電波の状態が良くメインで聞いていました。NHKのラジオも山口放送局ではなく松山放送局からの発信でしたので、一度も行ったことが無かったけど愛媛の地名を知らず識らずの内に覚えていました。松山観光港、大街道、梅津寺パーク、小早川楽器店などなど。後に友達が松山の人と結婚した時、初めて松山に行きました。披露宴が終わって大街道を歩いていると小早川楽器店を見つけて感激しました。記念にデペッシュ・モードの「101ライブ」のCD(中古)を買いました。 話は中学時代に戻りまして、翌1976年には大貫憲章さん、渋谷陽一さんの先程のラジオ番組も始まり夏休みの終わり頃、大貫さんの「若いこだま」に出会い、渋谷さんの「ヤングジョッキー」は何月かはっきりしないのですが「ロックと少女マンガ」みたいなテーマをやっていたのが一番古い記憶です。 山口県は、今は分かりませんがあの頃の新聞は福岡で印刷されて送られて来ていたのだと思います。山口県の東部は福岡と一番離れた位置で、広島の方が圧倒的に近いのに朝刊のラジオ欄には福岡の番組も載っていました。 そのラジオ欄でいつも目にしていたのは、九州朝日放送の「今週のポピュラーベスト10」と言う番組で、とにかく聴いてみたいと興味津々でした。 たしか日曜日の朝10時頃からの放送だったはずです。1976年の暮頃にラジオの周波数を合わせて何度も挑戦していたら、ものすごい雑音の中でついに「ポピュラーベスト10」らしき音をキッャチしました。かなりのノイズの中での音だったのでそれが九州朝日放送なのかすぐには分かりませんでしたが、何度もディスクジョッキーの方が「小倉東映会館提供 今週のポピュラーベスト10」と言われていたのでやっと聞けたぞと嬉しかったですね。その週はかなり上位にキッスの「Beth」が入ってました。 ディスクジョッキーの方は松井伸一さんと言うカッコイイ声の方でした。本当に清々しい声で都会的で憧れましたね。放送の中で番組タイトル「今週のポピュラーベスト10」を何度も高らかに紹介するのですが「小倉東映会館提供 今週のポップスベスト10」と言うふうに「小倉東映会館提供」が必ずセットになっていたのがかなり印象に残っています。 後に就職して名古屋で寮生活していた時、北九州出身の先輩がいたので「小倉東映会館」知ってますか?「小倉東映会館」って何ですか?って真っ先に尋ねましたね。 電波のノイズが凄かったので中々1時間聴くのは大変でしたが電波の調子の良い時は聞くことが出来ました。同じ離れていても大分県のOBS大分放送は、とにかくバッチリ受信出来きて、何でだろうと不思議に思っていましたが地図を陸から見ると九州からは、山口県の中では東部地区は最も離れているのに、海(周防灘)から見ると位置的に大分県は山口県側に出っ張っていて山口県東部とかなり距離が近かかったので本当にびっくりしました。広島、愛媛県の次に近いです。大分から山口県の東部へは海から海なので電波を遮る物がありません。大分放送も本当に好きな番組がありましたね。それはまた今度書きます。 福岡(博多)からは電波の調子がかなり悪かったので松井伸一さんの番組は毎週は聴けませんでしたが1977年、高校1年生になった初夏だったと思うのですが、「今週のプレゼント」と言うコーナーがエンディングにあって、その時は2つの内どちらかを選んで応募して下さいと言うものでした。プレゼントコーナーは毎週あったんだと思います。 その週のプレゼントは「エリオット マーフィーのペン立て」でした。その月の雑誌ミュージックライフにも同じものがプレゼントで写真で載っていたので、すぐにイメージは出来ました。 今、エリオットマーフィーを知っている人はほとんどいないと思いますけど、その時は「ドライブ オールナイト」と言う曲がアメリカでスマッシュヒットを飛ばしてて、ミュージックライフのビルボードチャートにも載っていました。日本のラジオでも一時的によく流れていました。今から思えば、きっとレコード会社の方々が売り込みに努力されていたのだと思います。 それから十数年後、シンディ・ローパーがドライブオールナイトと言う曲をリリースした時、「あっ同じ曲名だ」とエリオットマーフィーの事を思い出しました。カバーではありません。 もう一つのプレゼントは何だったか覚えていませんが、エリオットマーフィーの方が当たる確率が高そうだったのでプレゼントに応募しました。 翌週、松井伸一さんのポピュラーベスト10を聞いて、期待していなかったのですが番組のエンディングの当選者発表の時、電波の雑音(ノイズ)の中から松井さんが私の名前を読み上げて下さいました。あの時の松井さんの声は今でも鮮明に覚えています。まさか初めて応募して一発で当たるとは夢のようでした。そんな事もありまして、とにかく松井伸一さんの事は度々思い出していました。 缶のペン立てはみかんの缶詰の形状で銀色に塗っていてエリオットマーフィーのアルバムジャケットと同じ写真がステッカーとして貼ってあるだけのシンプルな物でしたけど嬉しかったですね。 松井伸一さん、あの時は、私の名前を呼んて頂いて本当にありがとうございました。私にとって一生の思い出のなかの1つです。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。