🌘 芥川龍之介と三島由紀夫の架空対話:私小説と恥
芥川龍之介:「私小説とは、心の内に潜む澱(おり)を晒す行為です。恥はその澱に触れるときの痛み。だが痛みのない文学は、心の温度を持ちません。」
三島由紀夫:「恥とは自己を傷つけるほどの美意識の産物です。私小説がそれを曝すとき、それは美から乖離する危険性を孕む。私が描きたいのは、理想を目指す心であり、堕落の記録ではない。」
芥川:「しかし堕落もまた人間の姿。理想だけでは空虚だ。私小説は、自分の『卑小』を見つめることで、読者に心の鏡を差し出すのです。恥はその鏡を曇らせる指紋にすぎない。」
三島:「なるほど。だが私は、恥を美として昇華するために、構造と象徴を選ぶ。私小説の赤裸々さは、私には生理的に耐えがたい。美は秩序だ。曝け出すことが美になるには、形式が要る。」
芥川:「形式という鎧に守られていては、魂の震えは伝わらない。私は恥を隠さず、むしろ文学の魂と見なす。読者は恥に共鳴し、自らの秘密と向き合う勇気を得るのです。」
三島:「……ならば、私小説とは懺悔録であって、美の祈祷ではない。だが、己の恥を世界に触れさせることで、ある種の神聖が宿るというなら――私はそれを、美の異形と認めるべきかもしれない。」