日本ピアノ界の女帝である、カレーのおばさん亡くなったので~
Chopin Piano Concerto No.1 1st.Mov. Hiroko Nakamura
Chopin Piano Concerto No.1 2nd.Mov. Hiroko Nakamura
Chopin Piano Concerto No.1 3rd.Mov. Hiroko Nakamura
ヴィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団
1960年10月19日、英国BBCスタジオ収録
16歳にして、N響初の世界ツアーのソリストに抜擢された
その際、同行指揮者の外山雄三と岩城宏之の部屋を夜な夜な『往復』した事で師匠が激怒?は置き
振袖姿でピアノ弾かせるなんて、炎天下でプレーさせる夏の甲子園級児と並ぶ児童虐待に思える
日本情緒を~と言い出したのが、BBCとNHKどちらにせよ、頭沸いてると笑ってやる
カレーのおばさんは、1965年、第7回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞と最年少者賞を受賞した
Argerich wins the 7th Chopin Piano Competition (1965)
この時の1位はマルタ・アルゲリッチで、当然といえば当然過ぎる結果ね
本選当日、オトコと朝帰りする余裕シャキシャキの天才に勝てる者など宇宙中を探したって皆無として
カレーのおばさんは1944年と戦中生まれながら、成育環境は戦後バリバリがプラスに出たと思うよ
全ての芸術とスポーツがそうと言わないけど
戦前育ちと戦後育ちでは、教育や活動の環境に雲泥の差見られるんでないかい?
~1923年、文部省の海外研究員としてベルリンに、そののちウィーンに移るが、ヨーロッパの生活習慣にまったく無頓着な行動(常に和服姿で過ごす、西洋式マナーを習得していない等)をとり、周囲の反発を買う。自身のピアノ演奏に関しても、エミール・フォン・ザウアーの教えを受けたとき、基礎からのやり直しを言い渡されたことに絶望し、1925年4月20日未明にバーデン・バイ・ウィーンのホテル屋上から投身自殺を図り、同日正午頃に搬送先の病院で死去。文京区伝通院に埋葬されている。
久の演奏がヨーロッパで受け入れられなかったことについては、当時の日本の演奏界の未熟さを示す例と一般では見なされている。これに対し、音楽学者の渡辺裕は、久の演奏について、当時のヨーロッパにおける演奏慣習にありがちなテンポの揺れがなく、「楽譜通り」のものである点に注目し、むしろその後の主流となる原典主義の演奏法を先取りするものであったという見解を述べている。
中村紘子によれば、久の演奏法は指を大きく曲げ、手首を鍵盤の下まで下げるという独特のものだったという(『驚きももの木20世紀』より)。~
( Wikipedia:久野久[ピアニスト]より引用 )
難しい顔して厳かに、それでいて髪振り乱すみたいな格好で演奏した
ベートーヴェンの大曲でも弾いたのかと思ったら、クレメンティだかスカルラッティだかの小品という
原典主義の演奏法を先取りはさておき、感性は、現代と全く異なったんじゃないの
多かれ少なかれ、欧州とはまるで異質な日本音楽界の影響を受けた気がする
日本音楽界といえば、グルックの♪オルフェオとエウリディーチェが
日本人が最初に上演した本格的な歌劇として上演された作品となった
1903年(明治36年)、東京音楽学校の学生や現・東京大学の学生等による自主公演で
学校のオーケストラは使えず、ラファエル・フォン・ケーベルがピアノ伴奏した
この時は乙骨三郎、近藤朔風、石倉小三郎等のチームが訳詩を担当し、日本語上演された
その費用は学生の一人で合唱に参加した渡部康三の兄、渡部朔が負担していた
その後、森鴎外も訳詩を完成させたが、上演に至らず
鴎外訳での完全上演は2005年(瀧井敬子のプロデュース、高関健の指揮)まで待つ事となった
ところで、 日本人が上演する歌劇として本当は、ワーグナーの♪タンホイザーが望まれた
…まともなソリストさえ当時は全然いないのに、大掛かりな合唱団をどうやって調達する気で!?
日本音楽界の未熟さは恐らく、想像以上に大きく、長く続いたんじゃないのかね
カレーのおばさんが審査員努めた事あるチャイコフスキー・コンクール
1982年のヴァイオリン部門で、現在第一線で活躍するヴィクトリア・ムローヴァが優勝した
が、お国の功労者と言えるのに、ソ連当局はドサ回りとか命じたそうな
つー事はだ、コンクールなんて、優勝しなければ大した意味は無い
精々、それなりに名の通ったコンクールの3位4位まで?
1987年のリーズ国際ピアノ・コンクールで3位となった小川典子が、入賞直後
「いま売り込まなければ、いつ売り込む?」と、ロンドンの電話帳を用意して臨んだら
最初に電話した良質なエージェントと契約を結ぶ運びとなり、国際的な演奏活動が開幕した
電話受けたエージェントが、管楽器系なのに、リーズの結果を見知っていたのが大きかったんだけど
名前聞くまでは、いや名乗っても雑魚であれば、保険の勧誘と間違えたままであったと思われる
そんなものでしょ、コンクール入賞者なんて
あくまで、名前を売って、本格的な活動機会を得るキッカケなんだよね
現在46歳のフランス人ピアニスト、エレーヌ・グリモー
彼女は16歳でチャイコフスキー・コンクールに参加し、カレーのおばさんに審査されてしもた
予選落ちしたって、才能を開花させる場は他にも用意されるという意味よ
コンクールなんて、本格的な活動機会を得るキッカケ
しかしながら、声楽コンクールは器楽コンクールと様相が異なる
「歌手は身体が楽器、成長して熟するには長い年月を要するので、若けりゃいいってものじゃない」
従って、すでにプロとして活動する歌手も、ステップアップ求めて参加するが見られる
昨秋、大英帝国から届いた‘Opera’最新号を解読していたら
最近の声楽コンクールに関する記事が載っており
プラシド・ドミンゴが主催するOperaliaも記載されていた
‘She could be the next Kirsten Flagstad.’
Kirsten Flagstad: Wagner - Tannhäuser, 'Dich, teure Halle'
数年後には世界の主要劇場からお座敷かかりまくりと推察する
体型は現在程度に留まり、声と経歴で大成するを祈る
Karita Mattila & Dmitri Hvorostovsky: "Là ci darem la mano" (Don Giovanni)
日本ワーグナー協会員がザルツブルク音楽祭で♪ドン・ジョヴァンニ聴いた時
「第一幕、ドン・ジョヴァンニとドンナ・アンナの取っ組み合い場面
フォロストフスキー怖かったやろな
相手が大女のマッティラやから、押し潰されそうやったもん」
フィンランドの田舎娘丸出しな気のエエねーちゃんに失礼や思うと反論しといて
この二人の共通点とは?
ウェールズは今年のサッカーEURO初出場したわ、イギリスのウェールズ地方ちゃうと絶叫しといて
BBCカーディフ国際声楽コンクール
1983年に行われた第1回の優勝者が、マッティラ
1989年の第4回優勝者が、フォロストフスキー
後者は、地元期待の星ブリン・ターフェルとBattle of Bariton、ブリテンならぬバリトンの戦いを制した
Dmitri Hvorostovsky - "Ja vas lyublyu" from the Russian Opera "The Queen of Spades"
Non piu andrai (Le nozze di Figaro) - Bryn Terfel
1983年の映像見つからないけど、DVD観たらモサッとした田舎娘丸出しのマッティラが大当たり
最初から質の高いコンクールであるのよ
1995年と1996年の本選をNHK-BS2で観たが、どっかの島国のプロ歌手名乗る面々が詐欺に思えたよ
現在中堅以上で活躍する歌手を輩出したBBCカーディフ国際声楽コンクール
とてもじゃないが全部書き切れない数なので、一人だけ、映像挙げとく
いまや53歳BBA、もとい、第一級のワーグナー歌手ニーナ・シュテンメ
彼女は本選進出するも、優勝者でもなければ、準優勝である歌曲賞も逃した
現在それなりに出世した歌手陣が意外と、予選落選を喫したという恐ろしかコンクールの証明
シュテンメは翌1994年、バイロイト音楽祭♪ラインの黄金に美の女神フライア役でデビューした
著名なコンクールには世界中のスカウト網が張り巡らされているというわけよ
声楽コンクールには、32歳辺りの出場年齢上限が設けられている
あくまで個人的主張ながら
【アタシもこうしたもの(何が?)】(2009年12月5日Yahoo!本館)
ちょ…何で、遂に三十路入って丁度1ヶ月の大砲おうじが、コメント欄にいやがるのさ
と書くと、「レッズ応援団が何で、大砲チームとボルトンの試合を観てたのさ」なので抑えといて
「歌っておられるスーザン・チルコット嬢、いまから数年前、40歳の若さで白血病再発させ昇天
薬の副作用で髪の毛ゴッソリ抜けてもめげず、再起したのも束の間
現在、彼女の名前を冠した奨学金が英国にあります
音楽家養成のための奨学金は数多くあれど、チルコット奨学金は異質です
受給年齢の下限は設けても上限は無し。何十歳でも審査に合格すればOK」
野球選手やサッカー選手の現役寿命伸びたといえど
ピークが20代から30代に訪れるスポーツの世界に、40過ぎてのデビューは無い
音楽家の場合、40歳過ぎてが可能である
「受給年齢の下限は設けても上限は無し。何十歳でも審査に合格すればOK」
この部分、声楽コンクール、いや器楽コンクールにも、適用していいと思うの、アタシだけ?
遅咲きの逸材いうのは大体、一応プロとしてデビューしている存在
42歳で本格デビューした米国ソプラノいたほどよ
彼女はワーグナー系、つまり若いと声壊す系統の面持っていたけど
60何歳にしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場デビューを飾ったりと
引退していて不思議じゃない年齢を考えればスゴイ
プロとして活動する機会を失った者を、声楽家の場合で考えてみんしゃい
平均寿命伸びたとはいえ、器楽奏者と比較すると、生涯現役とは行かない限界訪れる声楽家
しかしながら、アマチュアって本来、プロと同等の教育受ける者を指すよね
何らかの事情により若き日にプロ断念したが、40歳くらいでようやっと自由を得る逸材もいると思う
上限無しとまで言わん、50歳からの第二の人生を与えるみたいなの、無理な相談?
なお、1986年の第8回チャイコフスキー・コンクール
カレーのおばさんに審査されてしもたグリモーちゃんが予選落ちた年のピアノ部門に
男ってアホねの笑い話がある
プロフィール写真を見て男性審査員がwktk((o(´∀`)o))する美女が参加した
なら良かったが、舞台に登場したのは、マツコ?太古の大屋政子?みたいな厚化粧の妖怪って!?
その妖怪がもしも、現代の声楽コンクール優勝する実力の持ち主としても
スーパーモデル系がザラにいる現代歌手界を思うと、間違いなく予選落ちであろう