鏡の中の、自分という名の他人 | mathichenの徒然なるままに

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mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
https://mathichen.hatenablog.com/
ココに常駐中

ゴーストライターどーたら、先週、ご本尊が会見したね
麻薬キメて「Love&Peace~」みたいな腐れヒッピー風貌から一転
双子はある意味ゴーストねのおすぎさんへ
アタクシには珍しく大爆笑したわ~




今回のドタバタ劇全体、ご本尊の主張や反論をどう受け取るかは百人百様で
希代の極悪人扱いのクソミソ評もあれば、ゴーストが書いた陰謀劇との邪推の他に
ご本尊は本質的に、アタクシの表現に置き換えると
「接する人によって、アブナイ面が見えて身の危険かもしれないが
不遇や逆境にある人々を騙す目的でなく
自分を救世主と信じ込むヒーロー気分の大いなる勘違い野郎に過ぎない」
『悪人ではなく、お気の毒なオッサン』との声が聞かれた




「そんなに感動する物語などゴロゴロ転がっていない」
そーいうこと




「CD買った人は皆、音楽に感動したからでしょ」
『付加価値』に感動したからでしょ
作曲家のプロフィール何も知らない状態で聴き、果たして同様の感動覚えたか
それこそ怪しいもんだ
東京五輪招致のお涙頂戴偽善プレゼンに感動するのを見な
浪花節に弱く情に流される国民性知れるじゃん
財布の紐ユルくする物語を作り上げて感動の押し売りを見抜けん
弱者に優しい自分を褒めちゃう国民性もね




つうか、詐欺だカネ返せとわめく面々を見たら
「ホラ言ってるでしょ、目に見えるものだけを信用する愚かさを」
改めて、世俗の、感性という意味での視覚障害ぶりに呆れたわ
ウチの元料理番ババァといい勝負だね
昔々、裏の家のド下手糞なピアノについて
「演奏出来ないのに、下手がどうしてわかるねん?」というなら
「演奏出来ないのに、上手がどうしてわかるねん?」だろが
技術的な指摘は苦手ながら、音楽の感性の有無だよ
アタシとアンタにおける天国と地獄の差はな




あのさ、障害者ってね、真に自立心持っていれば
足りない部分の補助求めたりはするが
腫れ物に触るような、あるいはペット扱いは良しとしないもんよ
障害者とトシヨリと子供は優しくされて当たり前と考える
怪しく思っても、「わ~、性格悪い人ね~」と逆に悪者にされる
問題提起すら出来ない民度低い国であるも問題かいな




『付加価値』そのものは否定しない
それだけで売っているのか、音楽なら音楽の質で勝負した上でのものか
篩にかけ質を問えるだけの鑑識眼が、消費者に求められるのよ




佐村河内何某に関しては、『悪人ではなく、お気の毒なオッサン』
この辺りじゃないの?
自分を救世主と信じ込む、あるいは、無能な自分に癒しを求める
障害者云々の克服を付加価値にすれば
賞賛(勝利)、同情(人から無視されない)を得られる
人々の注目を集め、自分をスゴイ人間と信じたいだけのね
情に流されやすく、感動は人に頂戴して乗っかり、自分の感性で決められない
不遇や逆境を乗り越えた美談が好きで、お祭り囃子メディアに右へ倣え
日本人の国民性を利用したという主旨よ

( 昨日のYahoo!本館【Not Without Other.(他者の存在と自己の存在は二個一)】より )




【Not Without Other.】、そう、ここアメブロ別荘記事の使い回し
アメブロ記事題名では、日本語訳として(他者が存在せずして、自己の存在有り得ず)
これも強引な意訳だが、本館では、文字数の都合による意訳をば
アタシゃ、単語の途中での改行が体質的に苦手
記事題名文字が大きくなって以来、1行で済ます題名を考えるのに苦労してるんよ




一昨日書いたウェブリ休憩所記事抜粋を枕部分に
本館記事とアメブロ記事の抜粋に
2012年独話別館記事に引用した発言小町を
編集して、加筆した
NGワード意識しなかったのに、[倫理学]カテゴリ載るし
昼過ぎにボーッと起き上がった直後にしてはよく書けた長文だと自画自賛中だ
某セレッソ応援団の感想聞いてみるか
彼も、元作家志望(完全に断念したかは知らん)なもんで




上の説明書きも実を言えば、昨日のFC2別館記事よりと自爆しといて




本館へのコメント返信に書いた
「ゴースト自体はいろいろな分野に見られ、必ずしも悪と思わないものの
佐村河内何某の場合、何が目的だったのか?」
代筆の類を全面否定すると、芸能人のエッセーなんかも大半アウトになる
イメージも商売道具の一つである分野では、ご本尊の意志を汲んでいる前提の下に
影の存在、一人ないしプロジェクトチームの存在は認められる
それが、『他者の存在と自己の存在は二個一』の所以の一つなんだけど
佐村河内何某には、何が目的だったのか掴めないから、胡散臭くなっちゃうのよね




「ホラ言ってるでしょ、目に見えるものだけを信用する愚かさを」
mathichenさんが10歳頃、可愛い小学生の頃に培われた信念だ




『蜘蛛男』の事件解決後、湖畔のホテルで静養していた明智小五郎は、そこで有名な宝石商の娘である妙子と知り合い、互いに好意を持つ。やがて妙子は先に帰京すると、叔父の福永に奇妙な脅迫状が届き、明智も協力するため帰京したところ駅で何者かに誘拐されてしまう。

・奥村源造:表の顔は魔術師だが実は賊のリーダー
・奥村文代:源造の娘、とされているが実は…
・玉村妙子:玉村家の令嬢、とされているが実は…

( Wikipedia:『魔術師 (江戸川乱歩)』より引用 )




有名な小説だからネタバレ許せ…




文代と妙子が、源造の深謀遠慮により、生まれた時に病院ですり替えられ
十数年後、実娘である妙子に父娘の名乗りを上げた源造が
玉村家に怨念を抱き復讐を誓う父にすれば
我が意を汲む者が敵地に、敵にとっては家族という味方として信頼されていたら
誰にも疑われず、玉村家の者への復讐、妙子を実行犯とする殺害がやすやすと行える
と、すり替えの意図を話し、血族の情に訴え、協力を誓わせた




…構想は悪くないが細部の詰め甘いもんでさ、読んでいる途中で真犯人バレたは置き
娘や妹、毎日顔突き合わせている家族とあっては
現代のDNA検査でもしない限り、誰も疑わなくて当然ながら
動かしようのない事実が、実は嘘八百も有り得るんだねぇと
感受性豊かな天才以上の天才少女のDNAに組み込まれた次第よ




その後、横溝正史の‘悪魔の手毬唄’を読んだら…




・青池 源治郎(あおいけ げんじろう)
小学校卒業後に神戸市に出て、「青柳史郎」の芸名で活弁士をしていた。
23年前の昭和7年、殺害される。
遺体は囲炉裏の中に倒れこんで顔が焼かれ、相好の区別がつかなくなっていた。
・恩田 幾三(おんだ いくぞう)
別所千恵子の実の父親。村にクリスマス飾り用のモール作りの内職を紹介する。
23年前、昭和7年の青池源治郎殺害事件の容疑者。




これもネタバレだ!同一人物だったしな~




・青池 リカ(あおいけ りか)
源治郎の妻、亀の湯女将。凛とした京都風の美人。
・多々羅 放庵(たたら ほうあん)
庄屋の末裔だが現在は没落している、本名は多々羅一義。
妻を7回も取り替えたり、芝居に入れあげたりと、放蕩三昧の人生を送っている。
鬼首村の手毬唄を発掘し、民俗学の雑誌に投稿する。




リカの夫殺害をお庄屋が目撃し、尚且つ、知らぬとはいえ兄妹の恋愛関係発生のため
追いつめられたリカが、20年後に、連続殺人に手を染めざるを得なくなった悲劇よ




ところで、『恩田 幾三』は、鬼首村内のオンナどもにちょっかい出しまくった
ちょっかい出されたオンナどもは、彼氏の正体に全く気づかなかった?
視力に難持つお庄屋でさえ、下宿させていた『恩田 幾三』の正体を見破ったのに
彼氏が変装していたって、一つの布団をシェアする関係にあれば
「風呂屋のオバハンの旦那さんちゃうのん?」くらい疑いそうなもんやろぉ




…ますますもって、現実や真実とされるものだけを信用する愚かさを知ったワケ~




何が言いたい記事か?
すっかり脱線し、自分でも意味不明に陥りかけているものの…
あ、思い出した☆
昨日の本館コメントと返信ペタリ




「世間では、次のターゲットにSTAP細胞の小保方さんになりそうな勢いで(笑)
さんざん持ち上げてたマスコミの変貌ぶりには毎度驚かされます。」
「商魂たくましく、儲けにならんと見たらポイ捨てするマスコミを淘汰すべきなのに
冷静な情報取捨選択眼と推移を見守る目を持たないと
詐欺だカネ返せとわめく面々も、マスコミと同じ穴のムジナでしょうね」




冷静な情報取捨選択眼と推移を見守る目=真贋を見極める目
ゴーストライター問題が提起していると思わんかしらん




マスコミといえば




「ラジオでは特別番組が組まれ、一日中震災のリポートが続き、TVもあの日の映像ばかり
風化するという考えは、体験していない地域の人たちの話であって
被災地の人たちにすれば、あの日のことは、脳と体が覚えている
ようやく恐怖が薄れ、少しずつ日常生活勘が戻りつつある現在
恐怖の体験を思い出させるような演出は控えて欲しい」




3・11被災地の人が、報道のあり方に疑問を呈する記事を書いていた
震災番組を否定するのでなく、語り継ぐ意義も理解しているものの
恐怖を忘れ、ストレスを克服するための、元気な番組を期待しているという
報道番組のみならず、映画やドラマ、文献にも言えるが
災害(苦痛)の記憶を後世へ語り継ぐことには難しいもの、確かにある




どんな災害においても、当事者でなければ、対岸の火事に近いもの
当事者には重荷となってしまうかもしれない側面は否定出来ない
従って、「がんばろう!ニッポン!」、あまり軽々しく口にすべきでない




情報発信側の意識が、苦痛を和らげられるか逆に追い込むかを分ける
当事者の始点や立場で、節度を保つのが重要
ニッポンのお祭り囃子メディア、そして平和ボケ組には、期待出来ないけどね
街中に「がんばろう!ニッポン!」の類の看板見ると、高見の位置視線に見えるが
同じような看板を、Yahoo!ブログにわんさか見かけるのよ…




背景:『がんばろう!ニッポン!』




…被災地の人たち及び関係者が納得して使用する分には、文句言う筋合い持たないよ
情に流されやすく、感動は人に頂戴して乗っかり、自分の感性で決められない
不遇や逆境を乗り越えた美談が好きで、お祭り囃子メディアに右へ倣え
財布の紐ユルくする物語の押し売りを見抜けん、弱者に優しい自分を褒めちゃう
精神的にも物質的にも余裕持つオメデタイ連中の使用が鼻持ちならんのさ