この3月で、長女が小学校を卒業しました。
最後の授業参観で、クラス全員が、作文を発表しました。
題目は、『一番心に残った言葉』
みんなみんな、それはそれは素晴らしい言葉を、
テレビに出ている有名人の言葉とか、
素晴らしい本を読んで、心に残っている、、、とか、
著名人の詩の一部だとか、、、それはそれは素晴らしい言葉で。。。
そんな作文の発表に、私まで感動しちゃって。
6年生って、そんなに感性が豊かだったかしら???と、
自分の6年生だった頃に、思いを馳せてみたりしていたのだけれど、
いざ、長女の順番がやってきて、
彼女はいったいどんな言葉をチョイスしたのだろうと耳を澄ませて聞いていると、、、
みんなが、素晴らしい有名な方の言葉だったのに対して、長女の言葉はなんと
『お母さんの言葉』...私であったのです。
以下 長女の作文
【私の晴れた心】
「人は色々なことをチャレンジして、自分の魂を成長させるために生まれてきた」
その言葉を聞いて、私の心に光が灯った。暗かった気持ちが晴れたかのように。私にとって、忘れられない言葉になった。
その言葉を言われる前の私は、何でもチャレンジしたいと思っていたけれど、私は一回何かに
つまづくと、諦めてしまう性格だった。
そのせいで、何をやるにも自分がやりたいと思っても、自分の気持ちが先にダメだって決めつけて怖くなってしまっていた。
そんな時にお母さんに言われた言葉だ。
私は、そんな言葉を聞いて、夢から目が覚めたような気がした。
それからの私は、何にも恐れず、自分がやりたいと思った事を諦めないでチャレンジし続ける〝心〟が大切なんだとわかり、
自分がやりたいことや、好きなことや、まだやったことがないことなどを、自分で進んでチャレンジしたいという気持ちになった。
前の自分は誰かに言われてやったりして、自分が明るい気持ちで何かに取り組むことができなかった。
でも、今ではその言葉が、不安と思ったときに、当たり前のように頭に浮かんでくる。
私はその言葉が今あるから、今の自分がいるのだと感じた。
私は、その言葉を色々なことをチャレンジしたくても不安と怖さがいつも光をさえぎって諦めてしまうときに思い出す。
そうすると、なんか暗い気持ちが晴れていって、
自分の魂が、一つまた大きな階段をあがれたような気がして、すっきりした気持ちになる。
私にとってのこの言葉は、今の私を成長させるために私に届いた言葉なのだと思った。
今も、何かにつまずいたときは、その言葉がまた当たり前のように、頭の中に浮かんでくる。
これからずっと先大人になった時でも、忘れられない言葉になるだろう。
何故なら、その言葉を言ってくれたお母さんに感謝しているし、その言葉は私の宝物の一部になるからだ。
~ここまで~
思えば、保育園も学区外で、友達が一人もいない小学校に始まり、
極度の心配性という性分から、
3年生ではストレス性の膀胱炎になり、1時間の授業で8回のトイレタイムがあったりして、
先生や友達に、行き過ぎだと指摘され、学校に行けなくなってしまった時期もある。
その時は、丸1日、隣の教室で、私がトイレの待機をさせてもらったこともある。
私が学校にいるというだけで安心して、授業を受けられたから、少しずつ大丈夫なんだと自信をつけていき、完全復活になった。
この時は、私自身も色々学ばされた。
宿泊学習でも、また不安に襲われ、夜中の3時まで何度も何度もトイレに行くのに、付き添いの先生を起こすという事態に、
修学旅行は行きたくないと、3か月前から毎日パニックになっていた。
私自身、心配性の気持ちがわからなくて、母として何もしてやれないことにもどかしくもあり、いい加減にしなさいと叱ったこともある。
のちに、芸能人が舞台でパニック障害になるという記事を見て、うちの子も同じ症状だと気付く。
パニック障害という病気の存在を知っていたら、もう少し違う対応もできたかもしれないな~と今だから思うこともある。
けれど、母として、私は誰より娘のことを 『大丈夫』 と、信じているから、
信じてあげることが何よりのお母さんの 『魔法』 であると、今なら確信している。
極めつけは、小学校最後の作文で、何もしてあげられなかったなと思っていた私の心までもが救われた。
パニック障害は、いきなりハードルを高くしないで、緊張しない程度に
きっと少しずつ、少しずつ、、幅の高い階段ではなくて、幅のゆる~い階段を、沢山たくさんクリアして行ったら
振り向いたら、いつの間にか高みにいて、自分の功績に気付いたりするから、
自分に自信を持てるようになるのではないかなと思ったりする。あくまで私の見解だけれど。
私も母にそうしてもらってきたように、箱入り娘にはし過ぎないように、
色々な経験をつませてあげようと思うのです。