いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日は休みの日だったので、久々にひたすら寝ました。
日曜日は朝から模試監督なので、こういう時に休んでおかないと…
さて、今日は生徒と絡んでいませんし、授業もしていませんので、
書籍の紹介です。
↑鳥飼玖美子 氏の『10代と語る英語教育』です。(画像はAmazonです)
2人の高校生と1人の大学生が、英語民間試験導入に対して自分の力で
調べ、動き、議員や世論に声をあげたことを、インタビューを通じて
紹介されています。
私は当該学年の担任なので、情報収集は続けてきました。
この本に書かれているいくつかのシンポジウムにも
参加をしました。
この3名の学生さんは、当たり前のように進む入試改革が
現場の状況を踏まえておらず、さらにロジックがないことを
見抜き、どんどん行動をしてきました、
端から見たら「なんだこいつ」なのでしょうが、
こうして自分から意を唱える力って、誰にでもあるものではないと思います。
こういう学生さんの行動こそ「主体的」というのではないでしょうか。
しかし、調査書に『英語民間試験の導入を阻止すべく、疑問を発信し続けた点は
主体的といえる。」などと書いたら、今の世の中は受け入れないんだろうな、
とか思うと、
主体性って一体なんだよ
と思います。これ以上の主体性はあるでしょうか?
そういえば、うちのクラスの生徒が、以前にゴミ拾いのボランティアをしたそうです。
「すごいじゃん」と褒めたら、
「いや、顧問の先生にやれって言われたんで、みんなでやったんです」と返ってきました。
「その時点でボランティアじゃないじゃん」と言ったら、
「そうですよ。やる気はなかったです」と。
こういうことが横行してるんです。きっと。
すべての原因は大人にあります。
子どもを育てきれていなんです。
「過剰は不足よりも問題」なのに、すべてが過剰になっていて、
何も見えなくなりつつあります。
その結果が、入試の迷走であり、大人と学生の間に溝ができたことにつながります。
上記は私見も入っていますがこの書籍を読むと、このようなことがよくわかります。
書店では平積みされていたので、見つけやすいと思いますよ。