いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日から数日間の夏休みに入ります。
ずっと学校にいたので、家のことが手付かずでした。
なので、片っ端から片付けて、途中に生徒の質問対応をしたり、
自己PR文の添削をしたりしていました。
(結局仕事…)
そして、満足にできていなかった読書を進めています。
↑画像はAmazonです。
書店でも前の方に置かれていた榎本博明氏の『教育現場は困ってる』です。
入試改革や、教育改革で起きている問題に切り込んでいます。
よく言われる「深い学び」ですが、何と比べて「深い」のでしょうか?
生徒同士で話し合うことが「深い」のか、
難しい社会問題に触れることが「深い」のか、
主体的に意見を述べることが「深い」のか、
あまり見えない気がします。
既存の教育でも、深いことは行われていました。
海外に数週間ホームステイして、コミュニケーション方を身に付けたり、
卒業論文を書いたり、行事ごとにクラスが揉めたり(うちか!?)、
問題の解法を複数の方法で考えたり…
つまり、生徒自身が「何かを発見」することが必要だったはずです。
教員が「ここに宝が隠されているよ」と教えてしまっては発見になりません。
自分で探しまくって、何かを見つける経験が尊いと思います。
他の人にとってはガラクタでも、その人にとっては宝物の可能性があります。
探す方法を「知識」といい、見つけた行為を「経験」といい、
見つけたものを「知恵」といいます。
知恵こそ、深い学びの正体ではないでしょうか?
著者は「アクティブラーニング」とか「主体性評価」とかが先行しすぎていて、
(こうした言葉は生徒が主語でないので、意味が薄れると考えています。)
本来の生徒の活動を見失っているのではないか、と提言しています。
こうしたことが「薄い」知識を身に付けた「薄い」大人を作り、
思考力や読解力の低下に陥っていると警鐘を鳴らしています。
もっと、生徒がワクワクするような仕掛けを大人が用意し、
その仕掛けで遊んでいる様子を温かく見守るくらいの
度量が私たちに求められているような気がします。
ぜひご一読ください。