どこかへ旅をしたいと常に思っていますが、

毎日仕事をしていると、そんな暇もないのが現状です。

 

まともに登山をする機会さえ、ないのです。

それほど、教員という仕事は終わりがない仕事なのです。

(他の仕事もそうだと思いますが…)

 

長期の連休では、あちらこちら行くようにしています。

人生で一度も行ったことがなかった、九州に行ってきました。

(ほぼ数学も教育も関係ありませんが、お付き合いください)

 

1日目:羽田→福岡空港→太宰府→天神→中洲→福岡市内泊

2日目:福岡市内→博多駅→長崎駅→出島→平和公園→原爆資料館→歩いて市内を散歩→鍋冠山→市内泊

 

 

 

令和になって数日、万葉集の舞台となった太宰府に行ってきました。

 

当然ながら、ありえない人だかりです。

↑学業成就?? かな。というレベルの行列

 

↑宝仏殿の書。向きを編集できませんでしたが…

 

↑太宰府の横にある九州国立博物館。

数学教員であるのに、歴史が好きなのです。

私は理系でも歴史を学ぶことに賛成です。

自国の歴史を学ぶことに、入試の事情を持ち込むべきではありません。

 

天神ではラーメンを食べました。

 

2日目

 

特急かもめで長崎に向かいました。

席は満席。2時間の旅でした。勿論、読書が捗ります。

 

↑長崎港  山も海も好きです。

 

↑イギリスの豪華客船が停泊していました。

 

↑新地中華街入口。横浜と神戸の3つで3大中華街だそうです。

どこもいっぱいだったので、アーケード街で長崎ちゃんぽんを食べました。

 

↑パラオから続けている慰霊の旅の目的地の1つです。

ここは原爆投下前は拘置所でした。噴水の奥には遺構もあります。

この碑文からも分かるように、当時、水を探し求めた人々を想い、

噴水が作られました。国立長崎原爆死没者追悼平和記念館にも

水が張り巡らされていました。

 

↑原爆記念像です。空を指す手は原爆の脅威、地面を表す手は平和を表しています。

 

この日まで、ここが爆心地だと思っていましたが、ここは爆心地側の拘置所跡です。

 

↑ここが爆心地です。平和公園の横にあります。

 右の遺構は浦上天主堂のものです。

 ここから500mほど行ったところに天主堂はありますが、

 戦争遺構としてここに持ってきたそうです。

 

私が手を合わせて黙祷をしている横で、子どもたちが無邪気に遊び、

多くの鳩が飛び立って行きました。

令和の時代が平和であることを祈らんばかりです。

 

↑公園横の川まで下ります。黒ずんだのはやはり放射能の跡でしょう。

 

↑原爆資料館です。撮った写真はあえてこの1枚です。

 全ての展示品を見ましたが、やはり、多くの方々に

 原爆の悲惨さを知ってほしいと思いました。

 

↑浦上天主堂です。長崎はキリスト教の信仰が進んだ街でもありました。

 原爆投下によって、全てが破壊されましたが、現在は再建されたものが

 長崎の街を見下ろしています。

 

↑写真下は旧天主堂の鐘楼です。原爆で破壊され、ここまで落ちたのです。

 写真のフェンスのところまで見に行くことができます。

 

↑山王神社の片足鳥居です。

 浦上天主堂から約1km歩きます。

   それ以外の部分もこの鳥居の側で保管されています。

 長崎市民の生活圏に溶け込んでいますが、戦争の悲惨さを

 知るには重要な場所だと思います。

 

やはり、平和教育は必要だと思います。

日本がどのような歴史を辿り、今どうなっているのか、

日本人として知る必要があると思います。

 

そろそろ日も暮れてきたので、新世界三大夜景の1つとも言われる

長崎の夜景を見に行きました。

 

場所は鍋冠山という、グラバー園の横の山です。

車でも行けますが、そんな手段はないので、市内から歩いていきます。

 

待っていたのは、この絶景でした。

↑海とネオンのコントラストが素晴らしいです。

 昼間は世界遺産のグラバー邸・大浦天主堂・ジャイアントカンチレバークレーン・

 占勝閣が見えるそうです。

 

グラバー邸と大浦天主堂にも訪れたので、次回書きたいと思います。

 

続きます。