『物質社会~哲学への批判~』

『物質社会~哲学への批判~』

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 ウクライナのクリミア半島でロシアに属するか、ウクライナに属するか、住民投票が行われようとしている。ウクライナ政府はクリミアの住民投票を決して認めないとし、一方、ロシアはクリミア半島のロシア編入を明らかに歓迎している。
 
 私は、この国、日本で同じことが起こった場合を思った。日本政府は独立に関する住民投票を決して認めないだろう。しかしながら、住民投票において日本からの独立を決定をした地域は、さっさと新政府を作ってしまうだろう。結論からいえば、ロシア周辺に限らず、国家が一地域の独立を認めないとすることは、軍事力なしではありえない。日本においては、日本の一地域が日本から独立しようとするとき、実は、これを日本政府が阻止する方法は日本にはないのである。
 
 日本では、日本国憲法で、日本の領土を記載、確定していない。逆に、なんとなく日本領土なのだろう、という曖昧さが、現在の領土問題を引き起こしてもいる。本来、国家というものは憲法において領土を確定して、記述しているものだ。日本国憲法には、それがない。
 
 たとえば、私が暮らす九州が日本国から独立する場合、それは実に簡単である。住民投票をしようがしまいが、「宣言」をしてしまえばよい。それは北海道であれ沖縄であれ同様であり、クリミア半島が住民投票により、おそらくロシアを「宣言」するであろうことと、同様である。
 
 ここから私たち日本人は、様々な出来事を考えなければならないと、私は思う。
 
 国家というものは領土を根幹としているが、この領土は、どうにでもできる。侵略も含め、領土を拡大することも縮小することも、民主主義の世界では、国民次第である。加えて、国家は領土の拡大も縮小も、政府として軍事力なしでは、拒絶できない。これは“反民主主義”の行為である。
 
 では何故、国家は領土を形成するのだろうか。それは日本を考えてみれば分かる。歴史であれ慣習であれ、そのような観念(意味)が領土を形成しているわけではない。いまのところ、独立をする必要性が各地域に存在しないからである。沖縄、九州、北海道は、いずれ日本国から独立をし、日本国から離脱するかも知れない。しかしながら、日本政府には、軍事力なしにこれを拒絶する方法はないのである。
 
 地域格差が表すように、日本は各所で引き裂かれ、分断され、無数の溝で覆われている。日本国ですら、いつまでも現行の領土を指し示すという保証はない。