特攻の話題は苦手である。
特攻隊が間違っていたというと、死者を冒涜しているような気がして嫌な気分になるし、正しかったというにしてもそこには様々な欺瞞がつきまとう。とにかく、特攻について喋るとろくなことにならない。日本が戦争に負けたからだろうか。
最近、ちょっとしたきっかけで興味を持ち映画やドラマなどをいくつか観たのだが、やはり同じようなことがいえるようだ。失敗することを運命づけられているとでもいうか、何を成功させようとしているのか知りたくもないというか、どれもこれも不満が残る作品ばかりであった。例えば、CGのアニメーションで妙に臨場感のある戦闘シーンを見せたりするのは特攻隊の映画にあまりふさわしくないと思うし、例えば、戦争に反対し平和をテーマに映画を作っても、戦争をしていた兵士たちの心情までなかなかたどり着けない。とにかく、特攻隊の映画やドラマを作るのは難しいようだ。ただ、俳優たちの顔や存在感は良かった。今まで全く興味のない俳優でも、別に特攻隊員の役でなくても悪役でも、全員とまでは言わないがいい顔をしている。私も、特攻隊員たちのことを想像してみた。
戦闘機に爆弾を積んで、敵の艦艇に体当たり攻撃をするという作戦。帰りの燃料はない。特攻隊に志願することはそのまま、自分が死ぬことを意味していた。実質的に強制だったことは、今の日本に暮らす私にも容易に推測できる。学徒出陣などによる若者が多かったという。戦地にいくというからには、命の覚悟もできていたかもしれないが、自分の中にある死にたくないという本能にあらためて気づかされもしただろう。
誰でも志願できるというものではなく、少なくとも操縦の技術が優れた者でなくては特攻隊員にはなれなかった。憧れられる存在でもあったようだ。しかし、まわりの人間はどう思っていたのだろうか。戦争の末期、誰しもがうすうすは日本が負けることに感づいていたに違いない。この作戦が軍の上層部の保身や組織防衛のために行われていることを、わかっている人間もいたはずだ。そういった状況は隊員たちにも影響を与えただろう。自分たちに特別にやさしくしてくれる人たちもいる。他方で、冷たくて心ない、憎しみを抑えられないような人間も。死ぬことは決まっていても、日々の生活の闘争は彼等にもある。うまいものが食いたい。あの女とやりたい。便所が汚いのはうんざりする。でも仲間たちがいる。友情がある。それを育めないのは自分だけのような気がする。故郷にいる家族は元気にしているだろうか。手紙を書く。検閲がある。…
あぁダメだ。私は俳優にも敵わない。
特攻は自殺ではない。敵地までたどり着けずに戻ってくる隊員もいて、彼らを収容する施設があったという話を聞いた。その振武寮という場所で何が行われていたのかは知らない。あまり考えたくない。嫌な話だ。
特攻隊員は何のために戦ったのだろうか? それは戦争に勝つためだ。
言葉が曖昧すぎるかもしれないが、間違ってはいないと思う。映画やドラマでも兵士たちはそう言っていた。現実の兵士も言っていたに違いないと私は思う。もしその言葉が嘘だとしても、例えば自分の残された家族を守るためだとしても、「戦争」というものに勝たなければならない。もし欺瞞に満ちた軍部のいうことを信じていたのなら、戦争の目的は「平和」だということも彼らは信じていただろう。
でもたぶん、こんなことを言っている私は間違っている。何だろうこの、ひとり、置き去りにされたような感覚。自分がとても卑しい人間に思われて仕方ない。最低な気分だ。どうしたらいい?
特攻は自殺ではない。彼らは生きるために戦ったのだ。私はそう信じたい。
そして彼らは、特攻隊員たちは、勝利を信じて、父や母も、日本軍も、戦争も、戦友たちも、思いを寄せる少女も、現在も未来も過去もすべてを追い越して、逝ってしまったのだ。
私も彼らの勝利を信じたい。
誇り高く美しい魂よ。

