「時間」は存在しない。
「時間」とは人間が作った概念にすぎない。
しかし「時間」は物体の運動を説明する際にとても便利なツールとなる。

人類が「時間」という概念をどのようにして産み出してきたのか?
想像を巡らせてみよう。


夜が明けて沈み、再び夜が明けるまでを1日と定義した

夜明けには長かった影が昼に短くなり日没にかけてまた長くなる。
一日のうちで影が最も短くなる時の太陽の方角が毎日同じであることに気づいた。この方角を南と名づけ、同時に正午を定義した。
南が決まったことで反対側の北も決まった。

太陽が出る位置と沈む位置が少しづつ変わることに気づいた。
最も北から太陽が昇る日から再びその位置に戻ってくるまでに365回の正午があった、つまり365日。
この365日周期が一定であることに気づき、一年とした。

太陽が一番北から登る日から一番南から登る日のちょうど真ん中は南北に引いた線と直角に交わる線の先にあることを見つけた。
同じように太陽が一番北に沈む日から一番南に沈む日の真ん中も南北に引いた線と直角に交わる線の先にあることを見つけた。
東西が定義された。
太陽が真東から昇り真西に沈む日が一年に2回あり、これを春分、秋分と呼ぶことにした。

当初は岩から滴り落ちるしずくの回数で時間を測っていたが、どこにでも持ち運べる水時計や砂時計が発明された。
これらの時計を使った観測によって春分と秋分においては、太陽が昇って沈むまでの時間と太陽が沈んで次に太陽が昇ってくるまでの時間が同じであることも分かった。
太陽が昇って正午までの時間と正午から太陽が沈むまでの時間も同じであることがわかった。
太陽が最も北から昇る日は太陽が出ている時間が一年のうちで一番長いことが分かり、この日を夏至とした。太陽が最も南から昇る日は太陽が出ている時間が一年で最も短いことが分かり、この日を冬至とした。

太陽の見える方角から時間・時刻の定義を試みた。
夏至の日には真東から真北に概ね6分の1くらいの位置から昇り真西から真北へ概ね6分の1くらいの位置に沈んでいること、そして冬至の日に太陽は真東から真南に向かって概ね6分の1くらいの位置から昇り真西から真南に概ね6分の1くらいの位置に沈んでいることを観測した。
それを根拠にして半日を12等分することとした。この半日の12分の1を1時間と呼ぶことにした。
こうして時間という概念が生まれ、日時計が作られた。
日時計で半日程度の時刻を把握できるようになった。

1時間が決まったことで水時計や砂時計はこれに合わせて精度の高いものが作られるようになった。
しかし一時間を測る大きな水時計や砂時計は持ち運びに不便だったことから小さなものを何度もひっくり返しながら時間を測るようになった。
そのひっくり返した回数を忘れないように人々は5本の指を使った。
5回ひっくり返して1時間となるような砂時計が主流となった。1回12分であるが、この頃はまだ分の概念はなかった。

曇りの日にも時刻を知りたくなった。
両手の親指と人差し指で輪を作ると指の継ぎ目と関節で12の節ができることに気づいた。
寝ている間は時刻を知る必要はないことから、12時間を計る時計を目指して円盤を12等分して印をつけた。
人は片手に5本の指があるので1時間をさらに5つに分けることにして円盤を12×5の60に分けた。これは前記の砂時計が一回落ち切るまでの時間に等しく都合が良かった。そしてこの60等分に印を入れた円盤がのちに発明される機械時計の基本となった。
最初の機械時計は1本の針で時刻を示すものだった。

円盤が60等分されたことで、12分間隔で時刻が読み取れることとなったが、一目盛は6°であり目視で分解可能であったことから、その中間値を計るためにさらに細分化された単位が必要となった。
もっと短い時間を計りたいという欲求があった。

そしてついに、3本の針を歯車で組み合わせて時間差で回す、具体的には最も細く長い針が60等分された目盛を1つ動くのが1秒、それが一周回って60秒経過すると次の幅の広い長い針が1目盛動いて1分、それが60回くりかえされた時に一番幅広の短い針が円盤の12分の1ほど動いて1時間、という機械時計が発明された。

秒と分の概念は時計の発明というモノづくりの過程で産まれたと言えよう。