★無効分散について
生物には、繁殖可能であれば環境許容量を超えて繁殖してしまうという性質と、本来の生息域から新しい生息地を探して拡散移動するという性質を併せ持っている。
これがバランスよく働くことで本来の生息域で適正な密度が保たれながら、新たな地へと生息域を拡大してゆく。
とはいえ、拡散した個体の移住は、移動した先の環境が自分たちの繁殖に適していないとか、先住の生物によって食べられてしまったりで大部分が失敗に終わる。
この一見無駄に思える性質を専門用語で「無効分散」と呼ぶ。
この無効分散は自らの意思で移動できる動物だけでなく受動的にしか移動できない植物にでも起こる。
マングローブは水に沈む重たい種と水に浮く軽い種を実らせる。
重たい種は親の株元近くへ沈むので、適した環境で発芽できるわけだが、軽い種は潮に流されて遠く離れた干潟に着岸してそこが適した環境であれば芽吹くが適していない環境であればそのまま他の生物に利用されて終わる。海中で結実するアマモも重たい種と軽い種を作ることが知られている。軽い種が地域個体群間で行き来することで遺伝子多様性維持に役立っている。
なお、動物にせよ植物にせよ、無効分散する性質の個体が新しい環境に適合するためには、もともとの生息地にとどまる性質の個体とは異なる、新しい生息地に適合できる遺伝子を持っている必要がある。
★クマに着目してみよう
日本人とクマの関わりや保護の歴史についてはWWFジャパンのサイト(https://www.wwf.or.jp/)に詳しく書かれているのでここでは触れないが、今後のクマ対策を講じるにあたって、ここ数年の人の生活圏へのクマの出没件数の増加の要因の一つに無効分散個体の増加がある可能性を踏まえておかないといけないだろう。
鳥獣保護法に特定鳥獣保護管理計画制度が盛り込まれたのは1999年である。
とはいえ当時クマは希少野生生物であったことから個体数管理という概念はなく保護に軸足を置いた施策が講じられたことは疑う余地がない。
その状態が30年近く続いたことでクマの生息数は倍増してしまったのである。
しかし一般的に生物は環境許容量を超えた時、得ることのできる餌(植物の場合は肥料)が減ることで繁殖成功率が低下して個体数の増加に歯止めがかかるものである。
山は豊作不作を繰り返しているが、その豊作不作の繰り返しこそが、そこを利用する野生生物が環境許容量を極端に超えて繁殖することを制限しているのである。
★ではなぜ今のように人里に降りてくるクマが増加したのであろうか?
昔は、山と人里が接する地域では、人が山を利用することで野生生物が利用できる植物のない区域が山と人里の間に緩衝帯として形成され、野生生物がそこを超えて人里に出没することは稀であった。緩衝帯を超えた人里に出てきたクマやイノシシ、シカは駆除され、たんぱく源として人に利用されていた。
しかし人が山を利用しなくなったことで緩衝帯が機能を失い、山を下りてきた無効分散個体がいきなり人里に現れるという事態が起こりはじめた。背景として、狩猟に制限が掛けられて保護に軸足を置きすぎた結果として本来の生息域にとどまらない無効分散個体が増えてきたこともあるだろう。
罠にかかったクマを山奥に放獣するという取り組みも行われていたが、無効分散個体の同一地区への放獣は、無効分散個体同士の出会いの機会を増やし、無効分散する性質のクマを急増させる原因にもなりうる。
結果として本来の生息地にとどまらない性質のクマが増えてきたという事であろう。
★人の生活圏に出てきたクマをどうすべきか?
少なくとも山へ戻すというアイディアについては、さらなる無効分散個体の増加を招く悪循環に陥るリスクが大きいことから、好ましい取り組みとは言えない。
山へ戻すのであれば、少なくともGPS発信器を装着して行動観察を行ったうえで、その情報を個体数管理の根拠として役立てるべきであろう。