【後編】三上護さん
それは私がチーフディーラーから外れていたのですが、急に大口の買いが出るということで急遽ディーラーのチーフをやれということで約400本買ったことですかね。
それはすごいですね。普通400本だと市場にゆがみが出て色々な噂が先行し大体大きく相場が上昇し買い切ることは非常に困難になりますね。
三上社長
ええ、ですからブローカーにつないでいるディーラーはオール・マイン(全額買い)の連発だしDDの金額もあるので今いくら買えているのか瞬時にわからない状態でした。
山口
その状態は私には良くわかります。市場が大荒れ状態になると我々ブローカーも瞬時に売り買いの本数が合いません。ですから昼休みを使ってレートの照合でなくポジションの照合をやったものです。
三上社長
また当時行内においても為替のディーリングが注目され始め福井銀行の社内報に私の一日が紹介されたのもいい思い出ですね。
山口
確かに当時は円高ということで毎日のように私の会社もマスコミに取り上げられ約定のチケットのやり取りが紹介されたのを今でも覚えていますね。ところで話しは変わるのですが、三上社長は確か滋賀大学ご卒業ということですが、次に学生生活についてお聞きします。
三上社長
授業に欠席することもなくまじめな学生でしたよ。後でわかったのですが私のノートが後輩の進級を助けていたそうです。とてもわかりやすいと評判は上々だったそうです。クラブ活動は軟式テニス部でした。彦根から長浜まで約10キロをマラソンで往復したものです。ですから長距離走は早かったですね。
山口
今でも体型が変わっていないように見えるのは普段からテニスをやっていたりで体を鍛えている証拠ですね。私など最近はただのデブ状態ですので、少しは見習ってテニスでもやろうと思います。
山口
最後になりましたが、当ブログの表題としてOnce a dealer always a dealerとさせていただいたのですが、この言葉はわれわれインターバンク仲間の魂の言葉だと思うのですが、三上社長はどうお考えになりますか。
三上社長
私がディーラーだった頃たしかに銀行員から外れた仕事をしているという認識を持ちましたね。他行のディーラーや短資会社の人間などにむしろ仲間意識を持ったりもしてましたね。私がディーラー職を退いた時に始めてこの仕事の苦労がわかってなんともいえない感情がわきあがってきたのを覚えています。
山口
私も同感です。この仕事に携わっていなかったらこのようにフランクな付き合いが出来なかったかもしれませんね。それだけこの言葉の意味は深いのではないでしょうか。一度でもディーラーを経験すれば魂はいつもディーラーなのですから。
本日は長い間お話をしていただきまして本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
後記
私もたくさんの個性的なディーラーの方にお会いしてきました。殆どの方は自分の成功談や自慢話しかしませんが、三上社長は失敗談もしっかりと話され実直なお人柄が良く出ていたと思いました。本当にありがとうございました。
以上
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三上護 (株)福井センイ倉庫 代表取締役社長 S46.3 滋賀大学経済学部 S46.4 福井銀行入行 S61~H1 福井銀行国際部ディーラー H13 福井銀行取締役 経営企画Manager H15 福井銀行役員退任 福井センイ倉庫社長 |
【前編】三上護さん
第一回目の当ブログのゲストは福井センイ倉庫の三上社長です。三上社長は実は知る人ぞ知る福井の外為の世界では有名な方なのです。今日はお忙しいなかディーラー時代の苦労話や今後の相場展開など幅広くお話を伺いました。
山口
福井銀行の国際部に配属された時、外為業務のシステム化の仕事に従事してまして色々なアイデアを提供していたところ当時の国際部長に三上君ここのマネージャーやってみるかという一言でこの世界に入ることになりました。やっぱり興味があったのですね。当時の国際部の仕事といえばお客様の玉のカバー取引が主でしたが、自分で1本(100万ドル)ぐらいからスペック(スペキュレーション)を試みまず実績を積みそれから、為替売買益を拡大する目的から東京支店にディーリングルームを創りました。
私の知っている地銀さんの多くは地元からの売買注文や東京のお客さんのカバー取引が主で独自のディーリングルームをもたれている地銀さんはありませんでしたね。
三上社長
当時ワンロット30本(3000万ドル)売買するお客さんがいましたので多少そのアマウント(金額)に上乗せして売買することで為替差益が生まれましたので利益を取ることはさほど難しいことではなかったですね。
山口
当時でも30本というのはかなりの金額で一度にさばくにはレートが飛んだりで簡単ではないですよね。
三上社長
ええ、ですから15本くらい市場でカバーし残りはDD(ダイレクトディール)などでカバーしてました。
山口
差しさわりがなかったらで結構なのですがどの辺を呼ばれたのですか。
三菱銀行と三和銀行です。
山口
で次は、当時の三上社長のポジションの取り方についてお聞きしますが、これはデーリングスタイルとも言いますが、いかがだったでしょうか。
三上社長
基本的には流れには逆らわず順バリで20銭~30銭抜けたらまめに利益確定を履行してました。当時は先に述べたように大口の顧客がおりましたのでその玉に上乗せしまず売りから入ってましたね。
山口
この辺が一般の投資家とディーラーの大きな違いなんですよね。一般の投資家は1円抜きを考え鞘取りが出来ないとオーバーナイトでポジションを持つことを厭いません。しかし多くのインターバンクディーラーは基本的には日ばかりが多く抜き幅も、その時の相場によりますが、一般投資家よりも少ないですね。次はディーリングの失敗談などをお聞きしますがいかがだったでしょうか。
三上社長
毎日コツコツと利益を積み上げるのが私のスタイルでもあったわけですが、月に何回か雇用統計などの大きな指標の発表となると当時はスタッフ全員で残り大勝負に出ましたね。発表前に10本ぐらいのポジションをあらかじめ仕込んでおき発表後に大きく利益確定を狙うわけです。発表1分前ぐらいになると情報端末の画面が一旦消えてどきどきしながら発表後のプライスを待つわけです。でもそういう時って大体アゲインストに行きコツコツ貯めた利益をいっぺんに吐き出してしまったこともありましたね。ある時なんか次の日が社内旅行だったのですが指標発表だったので残ってポジションを作ったのは良かったのですが発表後アゲインストになり夜中の2時ぐらいまで残って大損をして疲れ果てて社内旅行に行ったのを覚えています。
山口
それは大変でしたね。上司は必ず儲かると思ってますからね。
ディーラー時代の一番の思い出は何ですか。
後編につづきます。
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三上護 (株)福井センイ倉庫 代表取締役社長 S46.3 滋賀大学経済学部 S46.4 福井銀行入行 S61~H1 福井銀行国際部ディーラー H13 福井銀行取締役 経営企画Manager H15 福井銀行役員退任 福井センイ倉庫社長 |






