masmiraiです(*'ω'*)
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mausmiraiです。
みなさんはどうやったら夢って叶うと思いますか?
私は「自分を信じる力」と「縁とチャンス」があれば叶うと思っています。
自分を信じる力というのは「頑張れば叶わないわけがない!」と信じて努力出来る事です。
自分を信じている人は、何回失敗しても「最終的には成功するに違いない!」と思っているから成功するまで努力しつづけます。
成功するまで努力し続けるわけなので、結果、絶対に成功します。
小さな例をあげるとしたら・・・
「バスケで華麗なドリブルが出来るようになりたい!!」と思ったとします。
この時、自分を信じる力が弱いと「どうせ頑張っても出来ないよ・・・」という気持ちから努力することが無駄だと思ってしまいます。
結果、本気で頑張ることが出来ず、華麗なドリブルはいつまでたっても出来るようにはなりません。
でも、自分を信じる力が強い人は「努力したら、絶対に出来ないわけがない!!」と思うので、出来るようになるまで努力し続けます。
それがどんなに大変な努力でも、必ず出来るようになると思っているから、あきらめないで頑張ることが出来ます。
だから、何かを成し遂げられる人と成し遂げられない人の違いは、まずは自分を信じ切れるかどうかなのです。
自分を信じる力というのは、本来、子供の頃はみんな持っているのかも・・・
でも、大人に「そんな夢は叶わない」とか「もっと楽な生き方がある」とか言われたり、親や先生に叶えたい夢をすり替えられたりすると、自分を信じる力が失われちゃうのかも・・・
だから、親は子供が「こうなりたい」とか「これが夢なの」と話してきたときは、「絶対に叶うよ!」と言って、全力でサポートしてあげるのがいいのだと私は思います。
親からしたら「そんな夢なんて」と思うかもだけど、そう思ったとしても本気で叶えるために子供と一緒に頑張ってあげたら、子供はすごく嬉しいと思うし、自分を信じる力を失わずにすむ気がします。
私は、人の夢というのは、その人の夢であって(自分の子供であっても)、自分の夢ではないのだから、安易に「無理じゃない?」とか「あまりオススメ出来ないよ・・・」とか言うものではないと思います。
それが優しさからであってもです。
親はわが子可愛さに、いばらの道よりも、平凡で安定した道に誘導しようと思ってしまいがち・・・
でも、それを子供が望んでいないのなら、親は心配が尽きないかもだけど、いばらの道に寄り添う覚悟を持つのがいいと思います。
なんか、この記事を書いていて思ったけど、もしかしたら、親が子供に安定を望むのは、自分が悩みたくないだけなのかもな・・・
可愛いわが子が大変だと自分も辛いから、子供に安定を求める結果になってしまうのかもな・・・
娘は小さい頃からネイルが好きで「ネイリストになりたいな・・・」って言っていました。
小さい頃は「そうなんだぁ~。素敵ね~。」なんてみんな言ってくれていたけど、でも実際に将来を考える年ごろになると「あんまりおすすめできない」とか「その道はあまりよくない」と助言する人が出来てきました。
確かに、助言は一理あると思いますし、心配して言ってくれているのだと思うのですが、良い悪いは本人しかジャッジ出来ないわけなので、とりあえずは何も言わずに見守っていればいいのだと思います。
もし失敗したなら、やり直せばいいだけのこと。
娘は「自分はすごい人になるんだ!!」と言っています(笑)
「私でなければダメな存在になるんだ!」「業界のトップを目指すんだ!」とか言ってます。
(今はネイルだけじゃなくて、トータルビューティーを目指していて言っている)
私からしたら「これまた大きな夢だな・・・」と思うのですが、本人がそれを望むなら「努力を惜しまずやってみろ!!!!」と思っています。
「絶対叶うからっ!」と言って、娘を激励し続けるつもりです。(多少不安でもね・・・)
自分を信じることが出来て、努力が出来る事というのは、きっと自分の使命に関係していることなんじゃないかと思います。
たとえその夢が叶わなかったとしても、どこかにつながっていて、絶対に報われるものだと思っています。
だから、頑張りたい時は、とにかく精一杯頑張るのがいいのだと思います。
これからの時代に安定なんてない気がします。
だとしたら、自分を信じる力というのはとても大切。
だから、娘が自分の力で道を切り開こうとしているのは、正解だと思っています。
いち早く、なりたい自分に近づける高校を選んだことは、正解だったと思っています。
たとえそれが、今の時代ではかわっている選択肢だったとしても・・・
娘の高校は、原宿・表参道にあります。
実は高校を選ぶとき、立地も考えて高校を選びました。
夢の実現のためには、その場所がベストだと思ったから・・・チャンスをつかみやすいと思ったから。
夢というのは努力だけでは叶わないものです。
人の縁やチャンスというものが絶対に必要です。
その縁やチャンスというものは、つかみ取ろうとしなければつかみとれません。
娘にとっては、この高校を選ぶということが、縁とチャンスをつかみに行くことだと思いました。
体験会に行ったとき、スタッフに惚れました。
学校の雰囲気に惚れました。
良縁とチャンスはこの学校から生まれる!と確信しました。
そして先週末、さっそく娘にチャンスが舞い降りてきました。
娘は、ネイル作品をインスタでアップしているのですが、それを見た先生が「痛ネイルすごい!!」「作品を作ってきたら学校に飾ってあげる」と言ってくれたそうです。
なので、娘はこの土日でネイル作品を作り、今日学校に持っていきました。
学校に飾ってもらえるということは、学校に訪れるプロの人の目にも止まるし、たくさんの縁が出来ると先生に言われたそうです。
そんな風に娘のことを考えて飾ってくれるなんて本当にありがたいことです・・・
そして、今日、学校に訪れた来客の人に「どの子が作ったの?」と、娘に会いに来てくれたそうで、娘はとても喜んでいました。
そして、作品を今度学校のSNSでも紹介してくれるとのことで「土日で必死に頑張って作って良かった!」と喜んでいました。
不登校中に、たくさんネイルの練習をし・・・
それをインスタにアップルするという作業を行い・・・
今の通信制高校を選び・・・
今に至る・・・
小さなチャレンジが、つながってつながって、成功への道が開けていくのだと私は思います。
これからも、娘を応援し続けたいと思います。
夢への道のりというのは、険しいけど楽しいものです。
私事になりますが、本を出す前の私は、自分を信じることが出来ない人でした。
でも、ある時、なぜか自分は絶対に成功する!!!という強い確信とともにいろいろなアイディアが降ってきて、それを形にするために努力し続けていたら、出版していました。
そしてそのあと、オリジナルモールドを作ったことから、色々な素敵な出会いがあり、キャンディアゴーゴーのシャンデリアを作ることになったりと、激動の10年を過ごしてきました。
その間、無我夢中で努力してきました。
それが自分の使命だと思って、、、
でも、今は何より娘と息子をサポートすることが楽しい。
求められたアドバイスに答えてあげたり、いろいろな可能性を調べたり。
私は今は、これから教育がどのように変わっていくのか、とても興味があります。
私は教師になりたくて教員免許を取ったのですが、大学卒業の時、なぜだかどうしても教師になりたいと思えなくなり、今のような人生を歩んできました。
でも、ここにきて、教育が気になる。
私が本を出版することになったのは、自分を信じる力があれば、夢は叶うということを私が知らなければいけなかったからなのかな?
色々な社長さんたちとの縁は、いばらの道でも頑張って人生を謳歌している人たちがたくさんいると、知るためかな?
この経験があったから、娘や息子に対して、迷わずに夢を追いかけろ!と言って、応援できます。
教師になる前に、経験が必要だったのかな?なんてふと思ったりします。
でもね、この前ちょっと失敗しました。
ちょっと前、息子は「NBA選手になる」って言ったり、「eスポーツ選手になる」って言ったりしてたんだけど、そのとき、ちょっと弱気発言をしてしまいました。
今までは、どんな夢に対しても、全力応援していたけど、さすがに「いや~難しいんじゃないの?」と思ってしまって・・・
そしたら息子「あ~もうやる気なくなった。お母さんは信じてないんだ。出来ないと思っているんだ?ホントにやる気をなくさせるのが上手いよね・・・。もういいや。努力なんて無駄だね。」と言われました。
小学6年生から出た言葉・・・。
痛く胸に突き刺さりました。
それからは、どんな夢に対しても全力応援しています。
「夢を叶えるためには、こんな努力が必要みたいだよ?」とか、とにかく本人が頑張りたいというなら、全力サポートです。
結果はどうなるかはわからないけど「頑張りたい!」というなら応援するのみ!
頑張っているという実感が人生を豊かなものにしていくと思うから、一緒に頑張っていきたいと思います。
あ~、またかなり長くなっちゃったな・・・。
最後に、土日で作った娘の作品をアップして終わりにしま~す。
先生が鬼滅の刃が好きだといったから、鬼滅の刃の痛ネイルにしたそうです。
たんじろうとねずこです。
↓
まだまだ、もっと技術をあげたいみたいです。
ではまたぁ~!
不登校
masumiraiです![]()
今日は、娘が不登校になった時の話をしたいと思います。
少しでも起立性調節障害や不登校でも悩んでいる人の参考なったらと思います、、、
でもリアルタイムでの話じゃないので、上手く伝わらないかな?
娘は中学2年の春から、起立性調節障害で不登校になり始めました。
娘が登校出来なくなったばかりの頃は、原因がわからなくて「何か大きな病気にかかってしまったのか?」とか「学校で私にはわからない問題があって精神的に行けなくなってしまったの?」とか、とにかく原因がわからなくて、とても心配でした。
いくつか病院に行きましたが、原因がわからなくて、精神的なものだと言われ、ある病院では「お母さんが原因で娘さんに問題があるのではないですか?」と言われ、親子共々とても傷付きました。![]()
それからは、娘は病院に行くのが嫌いになり「どうせ行っても、自分の気持ちも状況も理解してくれないから、無駄だ」と言って諦めてしまいました。
でも、そのままでいいわけもなく、ネットで、娘の症状を調べ続けたら、起立性調節障害という病気がある事がわかり、起立性調節障害を扱う病院に連絡し、診察してもらい、そこで初めて起立性調節障害だとわかりました。
起立性調節障害だとわかるまでは、毎日とても不安でした。
原因が分かった時は、とてもホッとしました。
あー、生死に関わることじゃなくてよかった、、、って。
ですが、起立性調節障害は不登校になりやすいと説明を受け、また不安に襲われました。
「生死に関わることじゃなかったのだから、大したことない‼️」ってこの時思えれば良かったのに、不登校になるという事が、すごく大変な事に思えて「不登校にならないで欲しい!!」という気持ちでいっぱいになりました。
「娘は、起立性調節障害だけど、不登校にならないで、直ぐに良くなるんじゃないか?」と都合よく考えたりしました。
でもなかなか良くならなくて、
「いつになったら起立性調節障害は治るの?いつになったら学校に行けるようになるの?」という事ばかり考えていた気がします。
「頑張ってきた部活は続けられるの?」
「修学旅行は行けるの?」
「受験は大丈夫?」
「たくさん休んで学校の友達と、うまくやっていけるの?」
というような心配が次から次へとわいてきて、どうしよう、どうしよう、、、と思っていました。
なんでこんなにどうしようと思ったのかというと、娘が幸せになるためには、こうあった方がいいと思っていたことが、学校に行かない事で、ことごとく叶わなくなってしまう事がどうしようだったのだと思います。
「不登校になったら、娘は不幸になってしまう、、、」と思い込んでいた気がします。
失うものがあるかわりに、得るものがあること、幸せになりたければ、別の方法でいくらでも幸せになれることに気付くまでに少し時間がかかりました。
「学校に行かなきゃ!」と誰よりわかっているのは娘なのに、私が「休むな〜」という見えないプレッシャーをかけてしまっていたので、辛かったと思います。
家にいれば、学校に行かなきゃダメだというプレッシャーを感じてつらく、だからと言って、無理して学校に行っても辛い。
体と心の休暇が必要なのに、気の休まる時がなくて、可愛そうなことをしました。
今思うと、もっと早く「学校なんていかなくたって何とかなる」と思えていたらと思います。
(だからこそ、このブログを立ち上げた)
登校できないものは、登校できないのだから「いつなら大丈夫になる?」とか考えても仕方ないことだったな、、、と思います。
過去の自分に、アドバイスするなら「不登校になっても、不幸なことばかりじゃないし、いずれ立ち直るから、自然に身を任せて、ゆっくり休めばいいんだよ」と伝えてあげるかな。
(これって、コロナ休校みたい)
色々不安だったけど、がっつり不登校になってみると、不登校なんて、ホントになんてことなかったです。
今は、心身ともに元気で生き生きと学校に通っています。
不登校になったからと言って、不幸になるなんて事はなかったです。
むしろそれによって気づけた事が多くて、貴重な経験だったと思います。
不登校になってしまった時、大事なのは、不登校である事をネガティブにとらえず、子供に自尊心をつけさせてあげることだと思いました。
色々語っていますが、私の体験談ですし、私の思いを述べているだけね^_^
色々な価値観があると思うので、全部、あくまで参考程度に聞いてください^_^
ではまた!!

