色々なことがあり、今までの自分を深く反省しました(;_;)


この気持ちを忘れないため、絶対に自分の悪い所をつぶすために、課題を掲げました!!!!!


勝手に発表させていただきます。


①整理整頓する。

②何事も絶対100点目指して努力する。

③根拠のない自信は持たない。

④いつでもどんなときでも謙虚でいる。

⑤人の良い所探しをして自分からその人を好きになる。

⑥物を大切に扱う。

⑦叱られたり注意を受けたことは心から感謝する。放って置かれるより100倍ありがたい。

⑧やらなければならないことは寝る時間を削って早め早めにやる。

⑨常に「自分はダメ人間だから人の倍努力するんだ」と強い意志を持つ。

⑩言葉遣い、立ち居振る舞い、周りの人のことを考えた行動、マナーを日頃から気をつける。


これからの課題が多すぎる!!!!!でも全部基本的なこと!!!!!


脱★ダメ人間!!!!


公に宣言したからには絶対に克服します!!!!!!!!

一昨日(17日)は、バイトメンバー【りょうさん】とのお別れパーティーでした。



りょうさんは、中国のおっちゃんです。


初めて会ったときは、「僕、20歳です。」と言ってましたが、あまりにもオデコがきている(はげている)ので、本当は35歳だとすぐバレました。笑



りょうさんがバイトに入った当初、【中国人VS日本人】という雰囲気が流れていました。



中国人はバイト中、中国人同士固まって中国語で話すので私たち日本人とコミュニケーション取れないし、私たちも中国人に対して「すぐ仕事サボる」「常識ない」「いい加減」・・・といった悪いイメージを勝手に持っていて近づこうとしない状況だったからです。



しかし、りょうさんはこんな状況を変えてくれた人でした。



りょうさんがいるだけで、笑い溢れる場になる。



りょうさんが積極的に仕事するから、他の中国の子も一生懸命働く。



りょうさんが下手な日本語でも日本人に話しかけるから、コミュニケーションが増えて仲良くなれる。



・・・りょうさんのおかげで、今では国籍関係なくみんなが仲良くしています。



この前も、中国の子のお家に遊びに行って中国の餃子&中国のチゲ鍋を振舞ってもらいました。そのくらい距離が縮まりました。



バイトの平均年齢21歳の中、りょうさんは一人だけグンと年上でしたが、自虐ネタ連発&下ネタ連発でみんなから愛されていました。



ここで、りょうさんとの思い出をお話します。



みんなから「おっちゃん」と呼ばれ怒ったりょうさんは・・・「ボクヲオコラセルト、ゲンシリョクバクダンダゾー!!!!」



「毛が薄い人は性欲が低いらしい」という話で、「アレ~?ボク、エロイコトスキナノニ、ナゼアタマノケハ、ハエテコナイノ~?」



「マスちゃん。マスちゃん。コンド、ガンダムノエイガ、ミニイキマショウ。」「え~?ガンダムやってるの~?」「・・・・りょうさん、それトランスフォーマーだよ!!!全く別物だから!!」



・・・ホントに可愛くて面白い。これで35歳。笑



バイトの日本の女の子と仲良くしすぎて、お客さんからクレームがきて社員に叱られたこともありましたが、ホントにみんなの人気者でした。



面白いだけでなく優しさもいっぱい持っています。



新人の子に1番丁寧に教えてあげていたり、



女の子が力仕事をしていたら、走って飛んできて代わってくれたり、



ミスしてヘコんでいるときは「おいで♪」と人目のないところに呼んで、料理をつまみ食いさせてくれて、元気を出させてくれたり、



私が足を手術したときも頻繁にメールをくれて・・・

「一生懸命歩いてます?」

「痛いは大丈夫です?」

「台風きて君飛んじゃう。外歩くアカン。」

「私(お見舞い)いきたいけど、彼氏は俺に殺される。怖い。」←主語が逆・・・笑

少し下手な日本語なのに、一生懸命メールを打ってくれたんだなぁ~と思うと、とても嬉しくて心が温かくなりました。ぷすっと笑えて元気もでました。



奥さんの写真を、いつもお財布にいれている所も、紳士的でステキでした。



こんな良い仲間とのお別れは、とても寂しかったです。



お別れパーティでの言葉、「ボクは8年間日本にいました。ここでバイトした最後の1年が1番楽しかった。みなさん、仲良くしてくれて本当にありがとう。幸せ。」・・・ウルウルきました。



家に帰ったあともメールがきて・・・

「今日ありがとう。手作りアルバム本当に嬉しかった。あなた達との出会いは最高でした。」と。



年もだいぶ離れてるし、育った文化も違うし、言葉もうまく通じないこともあったけど、



でもこうやって仲良くなれたこと、お互いの気持ちがちゃんと通じあったことに、感激しました。



りょうさんが今後、中国で幸せになってくれることを願っています。



また日本に遊びに来たときには、最高のおもてなしがしたいです。



ありがとう、りょうさん。



(あっ。私の過去の日記「愉快なチャイニーズ」でもりょうさんを紹介しています。是非見てください。)



私、16日から9日間入院していました。今日、無事退院しました。


膝の前十字靭帯が伸びてしまい、オペをしていたのです。


しかも、このオペ2回目。。。2回も同じ怪我をしてしまうなんて、何やってんだ自分は。。。


この前十字靭帯の怪我は、完治にとても時間のかかるもので・・・スキー復帰は10ヶ月かかります。(私はスキーサークルに所属している大学4年生。)


10ヶ月ということは・・・大学生活最後の年にスキーができない!!!!ガーーーーーーーーーーーン!!!!!!!


ちょっと私の今までの話をさせて下さい。


大学1年の時は、バレーをしているときに手を骨折し、サークルの皆より遅れてスキー合宿に参加しました。そして、滑り方がよく分からないまま大会に出ました。笑


そこでまさかの転倒をし、右膝の前十字靭帯が切れてしまいました。これが1回目の膝の怪我。


大学2年の時は、1年で怪我した膝をオぺし、リハビリを重ね、またサークルの皆より少し遅れてスキー合宿に参加することになりました。


リハビリを頑張っていた私は、1年生のときより6キロ体重が落ちていました。この身体ならスキーがめちゃめちゃうまくなるんじゃないか?と期待していました。


しかーーーし。他の仲間の方が雪山を滑っている時間は圧倒的に長く、知らないうちに仲間はとてもうまくなっていて・・・私の滑りなんてカスでした。カスカスカス!!!!


先輩のレッスンを受けているときも・・・「涼花さっきの滑りはまだ違う。○○を直してもう1回やってみて。」と仲間はアドバイスをうけているのに、私の滑りに対しては「まっすーはとりあえず怪我しないように。自分のペースでいいから。気持ちよく滑ればいいよ。」と言われてしまう・・・。


私は、そんな言葉求めていない。自分が下手なこと分かってて気持ちよく滑れるわけがない。怪我を心配してくれている気持ちはありがたいけど、お願いだからアドバイスをちょーだい。と何度思ったことか。


たぶん直すべきことが山ほどありすぎて、先輩も困惑していたのだと思います。自分ドンマイ。


大会のとき。上位入賞してとても嬉しがっている仲間や、チームの仲間に負けて悔しがっている仲間がたくさんいました。


私はというと・・・同等に競えるライバルもいないうえに、その大会で最下位2位。「え?うそ?」って感じで・・・自分こんなにも下手だったんだ、と改めて実感させられました。誰にも迷惑をかけたくなかったので、一人隠れて悔し泣きしました。


このとき、絶対サークルの仲間を抜いてやる、と心に誓いました。こんな情けない自分で終われない。


この気持ちを抱えて合宿を終えた後、幸いにも個人的に濃厚なレッスンを受けることができ、結果スキー1級を取ることができました。「よっしゃー。これからだ」と思うことができました。


大学3年の時は、就活が忙しくて、ほとんど滑ることができませんでした。・・・第一希望から内定もらえたから結果オーライだけど。


そして、4年生になって今回の怪我。オペが決定したときは、「不完全燃焼のままスキーが終わってしまったなぁ・・・」と。悔しい気持ちと、切ない気持ちが怪我でたくさんこみ上げてきました。


でも、スキーに費やすはずだった時間は無駄にはできないし、この2回の怪我の経験も無駄にしてはいけないので、これからの日々を意味あるものにしていきたいと思っています。


怪我直後は・・・オペ後も足が不自由でできる範囲が限られるため、スキーに変わる目標や挑戦をなかなか見つけられない状態でした。


しかし、新しいことを無理に見つけるのではなく、とりあえず今の生活をしっかりこなしていこうと思い直しました。


今の生活は、将来の自分に必ずつながっているからです。


一生懸命に過ごしていれば、自然と何かが見えてくると思って。


最後に、入院生活はなんだか気分がぐらつきました。・・・病院マジック!!!笑

でも、いつも面白くて優しい看護婦さん、暇な時間にトランプを誘ってくれる入院仲間、私を一度も攻めず見守ってくれるお母さん、お見舞いに来てくれた子・・・この人たちのおかげで入院生活がとても楽しく感じられました。

今日病院を去るとき、寂しいなという気持ちさえ少し湧きました。笑


ありがとう。もう絶対怪我しないぞ!!!!

ここに誓おう!!!!!