65歳で旅立った母

 

 

1990年6月

私はフジテレビの

アナウンサーだった

笠井信輔と結婚した

 

私が

テレビ東京の報道記者

アナウンサーになる前の

ことでした


 

25歳で結婚した私

当時にしては

とびきり早い結婚ではなかった

けれど

母にとっては

子育てを終えた

大事な日であったようです

 

 

 

披露宴の席でも

写真のように

私ではなく

キャンドルライト

見つめていた

 

本当にシャイな

京女なのです

 

 

教会での写真右手には、

笠井と同じ悪性リンパ腫になり、その後亡くなった

おじの姿も…

今の時代ならば生きていてくれたかもしれない

と思うと、だだ切ないです

 

 

母はというと

堂々と花嫁の母を

楽しめばいいのに

 

泣く姿など

決して見せたくない

 

幸せになるまっちゃん(私のこと)

涙で送る必要なんてないから

 

と言って

明るくいました

 

 

 

 私の父の代わりは

イケメンの祖父がつとめてくれて幸せでした

 

 花束贈呈では、自分の親に薔薇を手渡ししました

母は涙は見せず、笑顔でした

 

 強がっていますよ、ほんと

 

 満面の笑み過ぎて、嘘っぽかったほど

女のこういうところは私は好きではないんですが

彼女にとっては美徳です

 

 しんちゃん、よろしくねと

とても楽しそうでした

これはきっと子育てを終えた感慨もあったのでしょうね

 

 泣いていたのは私だけ

 

この時も私ではなく

真っ赤な薔薇を見つめていた母

彼女はシャイなのです

 

 

 

東海林のり子さんに会えて

素直に喜んでいた母

 

 

私と母は

ギャンブラーのような

父親がいなくなったあと

 

2人で生きてきた

姉妹のようであり

反目するライバルのようでした

 

女としての生き方も

男性への対応も

人生のとらえ方も

正反対な2人だったけれど

 

互いの気持ちも

よくわかる

双子のような関係でした

 

 

 

今日、偶然にも

夫の仕事の関係で

結婚式のアルバムが

リビングの机の上にあって

 

開けてみたら

なんと

母の笑顔

 

 

写真が嫌いだった母が

私の晴れの日には

遠慮がちながらも

笑顔

見せてくれていたのだと

今、気がつきました

 

 

この時の母は53歳

すでに私は

この母の年齢を

超えてしまいました

 

 

明日は

東京は送り火

なんですね…

 

 

きっと母は

私のそばにいるから

私はあえて

母を送ることはしない

けれど

今夜は懐かしい写真を

見つめることにします

 

 

 
 
 
母は今でも、私ではなく
私の近くをそっと見ているようなそんな気がします