西園寺公望公関係の本を読んだ同居人から興津坐漁荘へ行こう!


とのお誘い。


いつか行きたいとは思っていたものの実現してなかったのて、二つ返事で。


ん、待てよ、もしかして家から歩いて行くつもりか?


と、疑うべくもなく、そんなの当たり前のコンコンチキ。16キロくらいだから〜と宣う。


まっ、その位ならなんとかなるかと思う私も変わり者かなあ。


で、良いお天気に恵まれて本日行ってきました。


坐漁荘の本物は明治村に移築。


興津には全く同じように再建したレプリカが。


やーさすが、明治の元老の終の住処は凄いねえ。


隠居するための家だったのに、興津詣という言葉ができたほど、政治の中枢の大物達が訪ねてきたのですねえ。


庭のすぐ前は海だったそう。


今は埋め立てられています。


浴室の天井 洒落てる


脱衣所もね


二階のお座敷で密談したのかな。

階段を上がったところの廊下はウグイス張りでした。ガイドの方が、人が昇って来たことがわかるようにしてあったんでしょうねとのこと。



お庭から



坐漁荘の字は白川静さんです。




坐漁荘の見学を終えて近くの清見寺へ。


江戸時代朝鮮通信使が宿にしたそうです。




立派なお寺でした。

鎌倉時代に再興ってお寺の縁起に書いてあるから古いお寺だね。

雪舟も逗留したそうだよ。


右の梅は家康お手植えの梅


家康手習の間


今川家の人質時代のことみたいです。

臨済寺にいた家康さんだけれど、今川さんは家康を大事にしていて学問させていたそうだから、その一連のことかな。



明治天皇もお立ち寄りになったみたいだし、大正天皇は東宮時代に滞泊していたそうな。  


てな訳でなかなかの興津観光でした。


しかし、疲れた。よく歩きました!




清見寺から興津駅までの間で興津の寒桜をみたよ