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第一次世界大戦に至る過程part1

ビスマルク体制 

ウィーン体制が完全に崩壊した後、新生ドイツ帝国の宰相ビスマルクの巧みな外交戦術によって一定の平和が保たれた時代。

ビスマルクの外交

☆ドイツにおける資本主義の発展のために、平和的な国際環境を必要とした
→以下の1、2、3などによりヨーロッパに平和を構築

1、バルカン半島をめぐるロシアとイギリス+オーストリア間の確執、ユーラシア大陸全体をめぐるイギリスとロシアの衝突をビスマルクが取り結んだ同盟・盟約・密約により緩和

※バルカン半島をめぐるロシアとイギリス+オーストリアの確執
1878年、露土戦争(ロシアとトルコ間の戦争)にロシアが勝利
→サンステファノ条約によりバルカン半島に勢力を広げ、地中海への進出を確実にする
→イギリス、オーストリアが激しく反発
→ビスマルクの提唱により同年ベルリン会議開催
→サンステファノ条約破棄
→ベルリン条約(1878)によりロシアの進出をサンステファノ条約より抑える形で調整

2、フランス孤立化政策:普仏戦争でドイツに恨みをもつフランスをヨーロッパ国際政治の中で巧みに孤立させる
※普仏戦争に敗れたフランスのドイツに対する恨み
→アルザス=ロレーヌ地方の割譲、巨額の賠償金など

☆ビスマルクが構築した同盟関係

・三帝同盟(1873):独、墺、露
→ベルリン条約で多くの譲歩を強いられたロシアの不満により崩壊
・三帝協約(1881):独、墺、露ロシアとの関係修復が狙い
・三国同盟(1882):独、墺、伊フランスの孤立化が目的
成立過程:
フランスのチュニジア獲得
→イタリアが反発
→1879年に成立していた独墺同盟にイタリアが加わる

・再保障条約(1887):独、露
ロシアとフランスの接近を防ぐ狙い
成立過程:三帝協約の期限切れに伴い締結
・地中海協定(1887):英、伊、墺


→フランスの孤立化に成功


3、イギリス(いずれの国とも同盟関係を結ばない)、新生のイタリア王国とも頻繁に連絡を取り合う


当時の列強の状況

・フランス:ビスマルクの策略によりヨーロッパ国際政治で孤立
→ヨーロッパ外に勢力を拡張
inアフリカ大陸
横断政策⇔イギリスの縦断政策(カイロからケープタウンまで)と対立
in東南アジア
仏領インドシナ(タイを緩衝地帯にイギリス植民地と頻繁に縄張り争い)
※仏領インドシナ:現在のベトナム、カンボジア、ラオス
※イギリス植民地:現在のミャンマー、マレーシア、シンガポールなど
・ロシア:a.1880年代までにシベリア鉄道の開発で東アジアにまで大量に兵を増員することが可能に
→南に位置するイギリス帝国と常に対峙
海軍力増強の為不凍港を手に入れたい(世界最大の海軍国イギリスを脅かすため)
→地中海からインド洋へと抜ける帝国の道(エンパイア・ルート)を維持したいイギリスと対立
b.ベルリン会議で成立したブルガリアとその周辺をめぐる、オーストリアとの確執が常に存在
・ドイツ:アフリカや太平洋に植民地を獲得
・オーストリア:ベルリン会議で成立したブルガリアとその周辺をめぐる、ロシアとの確執が常に存在
・アメリカ:南北戦争後に世界最大の工業大国にのしあがりつつあった
→勢力を近隣諸国に拡げる構えを見せる
・日本:近代化を成し遂げた
→勢力を近隣諸国に拡げる構えを見せる

対立を簡単にまとめると

英vs仏
英vs露
独vs仏
露vs墺



ビスマルク体制の崩壊

1890年3月
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がビスマルクを辞任に追い込む
→ヨーロッパ国際政治は新たな段階へ入る

続くよん

(未完成なので加筆予定です)
魁皇負けちった

残り5日で3勝2敗以上か…

明日は勝ちますように

ガンガレカイオウ