皆さん、いつも応援して下さって本当にありがとうございます。
今日は皆さんに、悲しいお知らせをしなければなりません。
過日、8月21日の夜、夫 桑木知二が永眠しました。
膵臓癌でした。
最期の三時間、ずっとトモの手を握って声を掛け続け、看取ることが出来ました。
悲しかったけれど、痛みから解放されたトモの安らかな顔が、私を静めてくれました。
今から思えば・・・変調があったのは昨年の5月。一緒に歩いていて息が上がり先に行ってと・・・運動不足じゃない?そうだね!と笑って話してた。
昨年の12月、目がダブルビジョンに見えて疲れるんだ・・・徹夜で仕事して目を酷使してるからだよ、病院に行こうよ!
この仕事1月までに上げたら行くよ!無理しないでよ!と話した。
2月、脳ドックと眼科を受診するも原因不明。
3月6日、主治医の大学病院で検査をした結果、思いもよらぬ膵臓癌が見つかった。
今から5年前に、ステージ1にも満たない肺癌を見つけて頂き、早期発見で抗癌剤も必要のない摘出だけで免れ、その後年三回の検査でも何処にも異常はなかったのに・・・
最初はステージ2bだった膵臓癌・・・結局、肝臓への転移が判明してあっという間にステージ4の末期となりました。
目まぐるしく状況が変わる現実に、これもトモの運命そして私の運命と覚悟をしました。その後、ダブルビジョンの原因は橋本病と判り薬の投与で全くなくなりました。
ステージ4の末期と診断されたのは、4月初旬頃でした。当然のごとく抗癌剤を勧められていました。お互いの死生観は何年も前から話し合っていたので、トモの思いも充分理解をしていました。
でも現実になると・・・迷います。
トモのどう生き切りたいか・・を大切に心に寄り添いました。
結論を出す前日の夜、私は勇気を出して言いました。抗癌剤を受けて欲しいと・・・トモは笑顔で私の話を最後まで穏やかに聞いてくれました。そしてトモは「抗癌剤はやるつもりではいるよ、だけどまだ説明を聞いていない事があるんだ。それを納得したいんだ」と。そして肺癌の手術を早いうちに受けたのも、私を看取る責任があったからだと打ち明けてくれました。そして面談の日、抗癌剤を受けなければ4ヶ月、受ければ13ヶ月。それを聞いて私達の思いは一致しました。
命の長さではなく、生活の質を選ぼう!笑顔に満たされた、少しでも元気で温かな時を一緒に過ごそうと決めました!現に、ずっとトモは元気でした!癌なんて嘘じゃない?と思うほど。
私達は膵臓癌が見つかって以来、お互いをこれまで以上に大切に思い、お互いが隣にいてくれる事に感謝し、これ程1日1日を1分1秒を愛しく生きた事は本当にありがたく幸福な時間でした。
主治医からは仕事はキャンセルした方が良いと言われましたが、それは私が壊れてしまうと返しました。
トモに話したら、「キャンセルする必要はないよ、歌いなさい!ケイは歌っている時が一番幸せそうだよ。絶対に観に行くから!」と言ってくれました。24日の横浜のライブには来れなかったけれど・・・
トモが癌になった事、そして三日前に亡くなった事。誰にも言えませんでした。私が壊れそうだったから。誰にも言いたくなかったです。
ファンの皆さんも、たったひと時を楽しみに現実を忘れて夢の世界に浸る為に来て下さるのだから。スタッフだってミュージシャンだって、その夢の世界を作る為に無心で頑張って下さるのだから。
横浜のライブは不思議な感覚でした。私はあたたかな黄金色に光るまゆの様な物に包まれてステージに立っていました。優しい光を発して・・
あれはトモです!トモが私を包んでいてくれる安心感がありました。
これからも、ずっとステージに立つ時はいつでも。
そして皆さんも、これからもずっとずっと私と一緒にいて下さいね!
そして最後に皆さん、トモに優しく接してくれて、トモを慕って下さって、本当に本当にありがとうございました。