いいねボタン物語〜序章〜【部室編】
「,,,,ふっがぁ」部室に響く情けない声、古い建物のせいか、やけにリバーブ効果の掛かった音がこだまし、私は目を覚ます。え?……あぁ、眠ってしまってたのか。寝ていたことに起きてから気づく、それも自分自身によって放たれた声で。少しだけ哲学的な体験をした様な気がして自嘲気味に苦笑いする。外はもう日が沈みかけており、窓からは夕焼けの太陽光が差し掛かっている。外に連なる木々の葉や枝のフィルターに掛かり部室の床に多様な形の影を描いていた。カーテンを揺らす風が顔にかかり、更なる眠気を引き出す心地よさがある。結構良い時間寝ていたのかも……時計が無いせいでどのくらい寝てたのかもわからない。外からはこの学校唯一運動系クラブ、弓道部の声も聞こえてこないし、もう最終下校時間も近いのかもしれないそれにしても……酷い格好だ。うたた寝なんてレベルじゃない深さの睡眠をしていたのだろう。大口を開けて寝ていたせいで涎は口からアホほど出ていたし、スカートもはだけ放題で、人としての尊厳はおよそ感じられない姿であろう。少し冴えてきた頭で、この姿を誰かに見られてなかったか、という一抹の不安を感じたが、その感情はすぐに杞憂へと変化する。「……んま、誰もいるわけないっかぁ」捨鉢の気分だった。寝起きにこんな自虐的な思いをするなんてついてない。ーー何しろこの部にはまだーーーー私しかいないのだからーー背もたれ付きの椅子から体を起こし、涎を拭いながら伸びをする。身なりを整えた私は座っていた椅子を机の前に戻し、机に置かれたノートパソコンを開いた。寝ていたせいでスリープモードになっていたが、特に気に留めず電源ボタンを押してパソコンを起動させる。寝起きのボーッとした頭で、寝る前は何をしていたのか思い出せないまま無造作にマウスを動かしていく。と、下のタブに作業途中のExcelタブがあったので開いた。そこには【近代的文学研究、執筆部勧誘書類】とのファイル名が書かれている。書きかけの文章や無造作に整頓されていないイラストが散りばめられており、どう見ても完成されたものとはいえない代物が映しだされた。段々と何をしていたのかを思い出していき、それと比例して頭の方も冴えていくのを実感する。自分の目がどんどん開かれて、全身に蔓延る一つ一つの精孔が覚醒していく。操作するマウスのクリック音も力強くなっているのか、大きくなっていている。そして、それらとは全く別の新たなる感情が生み出されていき、次第に全身がその感情に支配されていく。ー焦燥、そして危機感ー……やば。やばい、ヤバイまじヤバイ。頭の中で数多繰り返しされたその言葉は次第に口を開かせていき、ブツブツと頭から口へ言葉を吐き出していく。その様はまるで、やばいという言葉を流しそうめんで流しているかのごとく、そこには何も隔たることなく脳から口へと電気信号で伝わっていくがの如く。はぁ?次第に声は大きくなっていく。そしてついに「1ミリも寝てる場合じゃなかった!!!」ひとりでに叫ぶ。明日は一斉部活動勧誘日だ。午後からの授業の時間を部活勧誘に宛てる事の出来る年1回きりの行事であり、この日に大体の新入生ははどの部に入るかを決めるのだ。そしてこの学校の部活の大多数は文学系であることは言わずもがな。その部の良し悪しは勧誘に用いられる文学作品やポスターやらの完成度の高さで決まると言っても過言ではないのだ。そんな超超超超超重要な勧誘書類が……「1ミリもできてない!!!」と、再び叫ぶ。2度に渡る大声の振動からか後奥に寄りかからせていたモップが床に倒れ、ぴしゃぁんと言う音でビクっと体を強張らせる。そしてそれと同時に、部室出入り口のドアから「ふぁ!?」という声が聞こえた。……え?誰がいるのか。もしかして入部希望者?ここの部室は5階図書室の更に奥に進んだところにあり、図書室からしか入ることしか出来ないので倉庫としても遠さの面から機能し辛く、非常に使い勝手の悪い部屋となっている。元々この部屋は、使い古した教員用PCやら壊れた校庭に白い線引く赤いガラガラのやつ(正式名称不明)が仕舞ってあったり等、数々の不要な物が押し付けられている所であり、どうせ使わないのならと先生に頼み込んで部室したのだ。この前の全校舎改装工事でも唯一この部屋は手が掛かっていない。例え新品同様綺麗にしたところでこの立地の悪さは如何ともしがたく、用途も変わらないと判断した為だろう。…良い迷惑だわ。そんな状態なので他の全教室はコンクリート製のスライド式ドアに変わったのにここだけ木製のドアノブ式ドアなのだ。そのドアノブが少々厄介で、老朽化が進んでいるせいか、開けるのにコツがいるのだ。ノブを回すときにそこそこの力で前に押し、回しきった時にドアノブに掛けている力を緩めないままドアを引くようにする。何故か物凄い説明口調になってしまったが、何が言いたいかというと、初見でこのドアを開けるのは難しい、という事だ。人がドアの前で佇んでいても何ら不思議ではないのである。「はいはーい。」私は特に警戒するでもなくドアに向かって歩きだし、ドアを開ける。そこには怪訝な形相で、万年筆を握りしめた、やたらデカイ男性がいた。思わず互いに立ち尽くしてしまう。心なしかこちらの表情も引きつり気味になって行くのを実感する。「人を見た目で判断しないことだよ。」と、母親からの言葉を思い出す。お母さん、でもこの人のこの表情、空気感、筋肉質な体型は入部希望者、という称号を与えるにはいささか役不足じゃないかな?あ!また役不足の意味間違えて使っちゃった。役不足って本来はーーーそこまで思考を巡らせた瞬間、男の万年筆を持った腕とは逆の腕が上がり、直ぐ様私の肩に目掛けて振り下ろされる「ーー!」私は声を上げる間もなく、反射的に目を閉じてしまった。うっすらと万年筆に筆丸と、書かれていたのを見た気がした……続きます?