朝からYouTubeでモタスポの動画三昧でした(笑)
最近は、なんだか過去を回帰するような機会が増え(死ぬ前兆でないことを願いたい…)
数日前に、大谷翔平選手の元通訳の水原一平さんと生年月日が一緒と知り、度肝を抜かれました😱
まぁ、そんな訳で、朝は92年のF1モナコGPの“抜けない❗抜けない❗ここはモナコ・モンテカルロ、絶対に抜けない❗”の名実況でお馴染み、フジテレビの三宅正治アナが当時、29歳だったと知り、びっくりしました。セナとマンセルのあの激闘は、そこだけの切り抜きでも、フルサイズで見ても、未だに手に汗握って見てしまいますよね。
そんな中、午後はドリキンの半生をゆっくり解説した動画、という動画を4本、計4時間くらいぶっ続けで見てしまいましたf(^_^;
僕のモータースポーツ好きは、ハコから始まったんですが…ドリキン少年がかつて、クニさん(高橋国光さん)駆るハコスカがスライド(ドリフト)しながら走っていたのを見たのがキッカケでクニさんに憧れたのと同様、僕は父親についてった先のカーショップでたまたま見た、ドリキンがハチロクでドリフトしてる映像を見て、レーシングドライバーって、スゲぇなとモータースポーツに引き込まれてった人間ですf(^_^;
なもんで、ドリキンの著書は片っ端から読んでたので、だいたいのドリキンの半生は頭に入ってたんですが、やはり上には上がいるもんで、僕が知らなかった情報もあり、見終わった時には、プロジェクトXやプロフェッショナル仕事の流儀を見終わった時のような気分になりました😊
中でも、人生面『だけ』を見れば…父親がアレな感じだったこと、好きなことでも何回も壁にぶち当たったこと、だけど好きだったから夢中でやってたらなんとかできたこと、その時になぜかいつも人脈に支えられた(助けられた)こと…など、アレ?ただ、僕はドリキンに憧れてただけだけど、なんとなくドリキンみたいな人生になっているかも!?と共感せざるを得ない面が多々あり、びっくりしてしまいました(笑)
ドリキンがグループAで走っていた頃、日産系チームは軍隊のような組織(笑)で自由奔放なスタイルを好むドリキンはのちに自由にやられせくれる他メーカーに移籍したら、水を得た魚のようになった(笑)みたいな描写があって、まさに僕もその経験があるので、ほんとそれ!と思っちゃいましたf(^_^;
あとはやはり、ドリキンは憧れのクニさんとチームメイトになれて、“圭ちゃんがいいなら、それでいいよ〜”とクニさんに全部、任されてたりしてたのも、今の僕と上長や同僚の方との関係性に似てるんですよね。
ただ、僕は障がい者ということもあり、クルマやモータースポーツとは関係の無い業界なんですがね💦
そののちに、ドリキンはチームクニミツを“(NSXで)ル・マン優勝を果たしたとはいえ、燃え尽き症候群みたいになってしまった今の生温い環境にいてはいけない”と、再び、他メーカーに巣立っていくことになる訳なんですが…
僕は今、ずっとやりたかった新人育成のお仕事に携われているんですが、プレイヤーとしてよりは教える立場としてのお仕事のほうのウェイトが占めて来て、このまま、プレイヤーとしての腕が鈍っていくのはなんだか自分の性には合わないな…と感じ始めてるんですよね。そこも、チームクニミツを離脱した時のドリキンに重ね合わせちゃって、ちょっと自分の今後のキャリアのことも頭を過ぎっちゃいました💦💦
奇しくも、僕が新人育成(後進の育成)のお仕事やってみたい❗こういうお仕事やってみたい❗と強く興味を持ったキッカケが、ドリキンが現在、所属する“ARTA”の存在だったんですよねぇ😳
前述したように、僕は障がい者であり、自分の居る業界も全く違いますが…僕の潜在的なメンターはドリキンなのかなぁ?と思った日でした。