思考と感情を極める基礎に飽きない タナカミノルのブログ -5ページ目

■朝焼けの中で。。。サハラと同じ太陽の下

■朝焼けの中で。。。サハラと同じ太陽の下


【BGM】ASAYAKEの中で Key of Life

http://www.youtube.com/watch?v=oCh_EY8E87k






「Noting seems real.」






サハラのレースが終わって砂漠を離れてから感じるのは


現代社会の人々はよくもまあ、

生きることを複雑にしているなあということです。


自分も含めて、貨幣経済の恩恵を受けている社会の人たちすべてが。






仮にいまどんなに苦しい状況、


どんなに行き詰まったように見える状況、


どんなに前例のない状況、


どんなに困難な状況でも




生きてさえいれば


必ず、前に進める素晴らしい点がひとつは見つかる。





もしかしたら賢い方法を知るまでは


状況を変えるのに時間はかかるかもしれないけれど


いま自分が集中できる一点だけを理解して


そこに集中すれば




少なくとも、心の混乱と痛みは


消えてなくなる。





平穏とやすらぎの中で


一点突破に集中することができる。










幸せというのはなにも特別なことを達成することではなく


頭で創りだした余計なことを全部取り払ったときの


本来の自然な状態なのだなと思う。






生きているだけで幸せ。


いまこの時に生きるという、原点に戻る。







マスコミに注目されながらもサハラ砂漠のレースを初日でリタイアした


梅宮アンナさんのブログには


砂漠での体験を彼女の言葉で表現した記事があった。


まさに「今を生きる」というあたりまえを体験した人ならではだなあと思う。





----------梅宮アンナブログより----------

な~んにも無くて死ぬほど暑い場所だけど、お財布もいらない、携帯もいらない、ぐちゃぐちゃした世界もない。。梅宮アンナもやらなくていいとても幸せだった。泣いて笑ってを繰り返したけど、最後には笑っていた。。あの素晴らしい景色を見る事が出来た事に感謝だし、友達も増えた。。そして何よりの感謝は、健康な体に産まれた事が感謝でした。運動始めて一年がたって色んな事をやりました。体が健康だと色んな事ができるんだなぁ~としみじみだった。体を動かし、自力で汗を出すことは、日常を生活するすべを教えてくれたようです。昔恋愛で心が壊れた時、時間が解決してくれると信じていた。でも時間なんて解決にはなっていなかったかな。運動する事でみるみる心が変わっていった。。。今後も自分ペースで運動をやろうと思う。

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実は彼女は初日にリタイアしたあと、


3日目と4日目は再びレースに参加している。




そのことについて、身近な友人が


「周りの参加者を見てチャレンジしようと思ったんだろうね」


というようなことを言っていた。


場合によっては


「やれるところまでやりきっていないと気づいて、恥ずかしくなったのかも」


というようなことを感じる人もいるかもしれない。





けれど


実際に砂漠に行ってマラソンに参加して、

そして彼女と同じように初日からリタイアのことで頭がいっぱいになった者として


ぼくが思うのはかなり違う。






たぶん、


いったんリタイアしてもレースに復帰できる権利があるのなら


からだが動くことに気づいた段階でふたたびレースに参加するのは


自然なことのように感じられていたのだと思う。




まわりがどうとかが、少しはあったとしても


そんなのは初日にリタイアする前からあったことで


ましてや、芸能人としていろいろな目にさらされていながらもリタイアするほど


過酷な状況を超えてなおレースに復帰するというのは


本当にシンプルに、「前に進もう」という自然な氣持ちだったのだと思う。








ここにもし、


極意があるとしたら、


困難をチャレンジとしてではなく、


自分の生命を表現する選択として見ること。







誰か、歴史上に達成した人がいるのならば


それを自分も達成する可能性を僕らは持っている。


そのうえ、現代は資源と環境という意味では


過去、どの時代の王侯貴族よりも多く選択肢を持っている。






自分の生命を表現する選択として、何を望み、何に集中するか。








シンプルに見る。


シンプルに聞く。


シンプルに感じる。


シンプルに、生命である喜びを知る。


ありのままに。






お金を払って砂漠で生命を危険にさらすという


ほんとにバカバカしいレースを通じて見つけた


一番の宝物は


その目、その耳、そのハートを


僕たちは持っているという発見だったのかもしれない。






サハラの星空の下で感動した目と耳とハートは


東京にいても、まったく同じに生命の喜びを味わえるんだなあと。








♪いまのあなたにも見せたい 朝焼けの中で


        by Key of Life「ASAYAKEの中で」






こうしてここまで読んでくださった


あなたとのつながりに感謝します。



いつもありがとう。




第26回サハラマラソン オーバーナイトステージの夜明け前[3分01秒]

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://www.youtube.com/watch?v=SfNcVxbqHhc












YouTubeに動画をアップして、15本20分のプレイリストを作りました

それぞれの動画にコメント付きでアップしています。


この体験そのものは何の価値も生んでいませんが

面白い体験ではあるので
、動画で少しでも伝わると嬉しいです。


http://www.youtube.com/playlist?p=PLD7900AE1C6B8F212


●サハラマラソンでリタイアを諦めた理由

実は、2日目にぼくはリタイアを真剣に考えていました。


まあ、一言で言えば甘かったのだと思います。




スタートまでの2泊で既にラクダや夜空を楽しんで満足していたし


初日と二日目でレースも十分味わったし


そこまでの状況と残りの距離から考えて、


完走はどうみても難しいと感じたので


すぐに自分のリタイアを正当化する理由を探し始めました。



もともと人と違った経験をしてみたくてサハラマラソンに行ったのですが


過去に出場した友人はみな完走しているので




「途中リタイアという経験こそ、人と違った経験じゃないか」とか


「敗れ去る人の氣持ちを知ることが大切だ」とか。





さらには、今年が過去最長距離251kmだというだけでなく


難易度的にも最悪のコースだとこぼしているリピーターたちの声を聞いて


「素人がここまでよく頑張った」と思ったりして


帰国してからの言い訳をたくさん考えていました。



正直、昨年10月にタレントの梅宮アンナさんがサハラレースに参加して


1日目でリタイアしたことについていろいろ言う人がいるのも知っていましたが


砂漠でぼくが思ったのは、



「ココで1日レースを体験したというだけで僕はそのチャレンジを100%尊敬する」



ということでした。



そして、



「もしリタイアしても、2度と砂漠に戻ってくることはない」


「たとえ7日間行けば1000万円払うと言われても行かない。

 けれどもしこの経験の記憶を奪われたら1000万円払ってでも取り戻す」



なんてことを考えていました。












けれど、あることをきっかけにそういう事を考えるのを一切辞めました。











誰かに何かを言われたわけでもなく


何かトラブルが起きたわけでもなく


ただ単に、あることに氣づいたことがきっかけです。






このときほど、


メンタルについて勉強してきていてよかったと思ったことはないです。





それは



「自分が他のリタイア者の数、


 とくに日本人リタイア者の存在を氣にしている」



ということに気づいた直後でした。




メンタルのプロは、行動を生み出す無意識を3段階に分けて理解します。


そのことによって、逆に無意識に影響を与えていきます。





行動を生み出す直前にあるのが「行動ルール」であり


人によって様々な制限があったり、他人には理解しがたいものもあります。




そしてその「行動ルール」を生み出すのが「想いの窓(信条・価値観)」で、


事実であるかどうかにかかわりなく


その人がどういうふうに世の中を見ているのかのフィルターが


生き方や結果に大きく影響してきます。




    「◎結果」

     ↑↑

    「◎行動」

    ↑↑↑↑↑ <==ここから下は通常無意識で処理される

   「●行動ルール」

 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

「●想いの窓(信条・価値観)」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

「●人間の根源的4つのニーズ」




ぼくが主催しているマステリートレーディングクラブでは


相場分析と売買行動においてこの人間の根源的ニーズにまで掘り下げて、


行動パターンを変えていくアプローチで、


未経験も含めてブレークしていくトレーダーを育成してきたのですが






他のリタイア者の数を氣にしているという自分の態度は


「たくさんリタイアする人がいれば自分のリタイアも正当化される」

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という想いの窓から発生していることに氣づき



その想いの窓を持つ限り、


「できるだけたくさんの人のリタイアを望む」


という行動ルールに従ってしまっていることに気づいたのです。






他人との比較に目が奪われて、自分自身が受け取る価値の評価ができていない。


これはまずいとその場で修正しました。



いつも、トレード塾の講義で自分が話していることですからね。


他人の失敗を願って自分の力が出てくるはずがない^^!








このあとのレースはある意味非常に楽でした。





他の人からどう思われるとか


このあとどうなるかとかはどーでもいい。


ただ自分が前に進むことだけを考える。




次のチェックポイントまで進むこと


次の目印まで進むこと


次の一歩を踏み出すこと



このことに集中して




【私は生きている】


【私はいのちだ】


ということをだけを強く味わっていました。


言葉にすらならないエモーション。



どんなにぼろぼろになってゴールして身体が動かなくなっていても

あしたのことはあした考えるとして、いまの食事を作り、

いまの睡眠をとる。




この経験を、瞬間的ではなく1週間

文明から隔離された厳しい自然の中であじわえたのは

人生の財産だと思っています。