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訃報

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皆様おひさしぶりです。
この、一月半いろんなことがありました。

まずは、東京一人旅。
本当家ってありがたいな。ということを学びました。
そして、誕生日会。
仲間っていいな。ということを感じました。

そして、先日の11月1日の午後のことです。

私の愛猫の『しゅう』が天国へと旅立ちました。
15年6ヶ月でした。

私はその日、昼すぎからアリオに行くまでは
しゅうちゃんの元気な姿を見てたんですが

私は18;00~に帰宅、
母親達が帰宅する20;00~にまで、
遺体が発見することができませんでした。

目を見開き、硬直した状態で母親の部屋でひとり静かに亡くなっていました。
このままじゃ可哀相なので、目やにを取ったり耳アカを取ったり。
お風呂が嫌いだったコだったので、濡れタオルで身体を拭いてあげたり、病気のせいでやせほって肋骨が剥き出しになった身体をブラッシングをしたり、
首輪が下顎にひっかかったりしてたので、多分首輪嫌いかもしれませんが、首輪を付けてあげたりしてできるかぎり綺麗にしてあげました。

老衰に近い状態だったと葬儀屋さんに言われましたが、毛球や食べた物が詰まっての窒息死だったかもしれません。
本当の所はわかりません。
前日まで点滴を打ってたらしくて、内蔵とかは健康だったみたいです。

なにか、この世に未練があるのか
目を見開いた状態でしたが、
翌日には、ちゃんと目を閉じてくれたんですけど
その時には、すでに身体が冷たくなっていました。
17;00に葬儀屋さんがくるまでの間
一時間くらい、冷たい身体を抱いてしゅうと一緒に寝ました。
その時と、火葬間際に「お疲れ様、いままで本当にありがとう」という言葉をそえて一回づつホッペタにキスをしました。

その後供養を済ませて、18;00~火葬。
遺体が発見されて、わずか22時間。
一日も経たずに天国へと旅立ちました。

この、15年半いろんな事がありました。
家へ来た時は、目も開かず未乳幼児でしたが
その後はスクスク成長し、マルマル太りましたw
同じタイミングでトイレをする子でしたw
私とにぼしを分けながら食べた事もありました。

以前、私が一人家で寝ている時に
父親のタバコの不始末で家中煙りに包まれている時に起こしてくれたのも
しゅうちゃんでした。
思い過ごしかもしれませんが、私の命の恩猫です。
いろいろ想い出もあるのですが、ほとんどは「家にいるのが当たり前」な存在でしたので、
あまり思い出せないのが実際の所です。

しゅうは、この家に来た15年半。
結婚もせずに、ほとんどが一人で
本当に幸福だったんでしょうか?
私としては、大好きな家で私達家族と過ごした時間 、
そして病院や路上じゃなく、大好きなこの家で行けたことは
幸福だったと思っていてほしいです。
母親は最初猫が苦手だったんですが、大好きだった母親に愛情をもって見送られてよかったです。
私も両親と2年くらい言葉を交わしてなかったんですが、しゅうの死をキッカケに和解できたことは、しゅうが最後にくれたプレゼントだったと思います。
この一年、はいて苦しかったでしょう?お疲れ様。
この15年半、あなたと過ごせた時間はとても幸福でした。
今でもまだ、この家のどこかにいるような気がして信じられないけど、

火葬の時一緒に焼いてもらったモーちゃん(20年くらいの付き合いの私の分身のぬいぐるみ。)を、
私だと思って、淋しくないでしょ?
また、どこかで逢いましょう。

我が子というよりは、最愛の妻でした。
女性で言うなら私は今「未亡人」ですw
毎年、年始年末はしゅうと一緒に過ごすのが恒例でしたが今年から私一人です。
これからの人生しゅう無しでどうやって生きればいいかわかりません。
一瞬「後追い」という言葉も頭を過ぎりましたが、そんな事はできないので、しゅうが生きれなかった分まで行きようと思います。
ニートの私が、行きなり就職したり
笑顔を無くした私がいきなり笑顔を取り戻したり出来ないのですが、
とりあえず「生きたい」と思います。
しかし、いますぐ元気にはなれないので、

一旦、このスズキブログを終了します。

ブログ自体残しておきますし。
皆さんのブログ拝見やコメントは出来るかぎりは続けたいと思いますので、
これからもよろしくお願いします。
では、まとまりない文章でと長文失礼しました。

それでは皆様さようなら。
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