格差をめぐる論争が再燃している。経済学の分野で新しい火種を作ったのは労働経済学者の大竹文雄氏だ。同氏は昨年話題になった『日本の不平等』(日本経済
新聞社)で、日本の格差は所得分配の不平等を示す統計(ジニ係数)で測ると拡大しているが、それは高齢化や世帯構造の変化による「ある種の見せかけ」にす
ぎないと主張した。10年に及ぶ研究成果を基にした大竹氏の分析は格差批判に対する反証として注目を浴び、政府も今年度の『経済財政白書』では同氏の見方
を追認する調査を公表している。
これに対して、8年前の著書(『日本の経済格差』、岩波新書)で日本における「平等神話崩壊」の背後で「理にか
なわない不平等化」が進んでいると問題提起した橘木氏は、新著『格差社会』では格差拡大がいまや貧困問題にまで発展していると警告する。統計上の格差は
「見せかけ」との見方を超えて、著者は日本のような先進国に存在する〈相対的貧困〉の深刻さに分析の光を当てるのだ。その狙いは、高齢化の進展に伴い、高
齢単身の「貧困者の数が非常に増えて」いるのに、それを「『見かけ』として無視するのですか」という問いかけに象徴されている。
生存に必要な食
料すら確保できない〈絶対的貧困〉がいまの日本で「大問題」になっているとは評者も思わない。だから、生活保護を受ける世帯が100万を突破しても、小泉
前首相は国会で「格差はどこの社会にでもあり、格差が出ることは悪いことではない」と発言できたのではないか。
しかし、貧困がもたらす問題は、
一国の経済発展に伴って変化することも忘れてはならない。特に先進国では、〈絶対的貧困〉よりも、同じ社会に属する他人との比較で悲観したり、不満を覚え
たりする〈相対的貧困〉のほうが「大問題」だ。自分の所得が低すぎるために人並みに社会参加できないとか、様々な機会から排除されていると感じる人が増え
れば、社会の連帯感や安定感、ひいては安全まで損ねる恐れがある。そうした〈相対的貧困
〉の境界線を平均(中位)所得の半分で引くと、日本の貧困率は著者
の推計によれば01年で17%に達し、先進国の中では最悪の部類に属しているという。
こうした貧困の実態や評価は、浦川氏との共著『日本の貧困
研究
』で詳しく説明されている。数式や統計が多く一見取っつきにくいが、具体的な事例
や数値も多く、読んでみると意外にわかりやすい。例えば、所得分配の
公平に関するアンケートの分析では、格差があっても全体の所得が大きければよいとか、完全な平等がよいといった見方に対する支持はいずれも低く、高いのは
〈相対的貧困〉を回避する分配だという結果が示されている。つまり、多くの人はある程度の格差を容認
しながらも、〈相対的貧困〉は可能なかぎり減らすこと
が望ましいと考えているのだ。
評者が、橘木氏の議論に共感を覚えるのは、格差論争の地平を貧困にまで広げた点だ。それは経済学者として絶対に忘れてはならない視点でもある。