【BDSM/SMER】 D&Sと恋愛DSの差
エスエマーなら多分誰しも一度はこれに対する混乱と別れの傷があるかもしれない。今日のコラムでこの話題を決めながら私はまだ混乱している。それほど複合的で主観的介入が多くなるしかない人間の不安定な'感情'に対する話だからである。D&S(Domination, Submission) : 言葉そのまま純粋に主従の概念を持つ上下の関係を意味する。恋愛DS : 単語にも表れているように恋人としての感情を抱いているDSの関係を示す。この二つの概念の定義について多くの個人の定義が存在し、そういう関係を結んでいる彼らの定義まで含めば各自がどうやって合意して基準を設定するかによって異なってくる。今書いているこの文ももしかしたら私個人の主観にすぎない。そう理解して読んでほしい。二つの関係に対して他のエスエマーと話してみると興味深く解析する人もいた。'D&Sは平等な尊重の中で上下の関係を成すものである。''エスエマーに本当の恋愛DSはD&Sである。''D&Sは上下の恋で、恋愛DSは平等な恋である。'恋愛DSとD&Sを論じるとき必ず登場する単語がここにすべて含まれている。それは平等、上下、恋、主従ということで、これらの組み合わせによって色んな解析が出ることがみられる。それなら、私が定義するD&Sと恋愛DSは下記のようだ。D&Sの上下の関係でも恋は存在する。その恋を表現できる自由がサブに与えられてるだけである。恋愛DSといって主従の概念は日常でもプレイの時でも持つべき概念である。故にエスエマーに恋愛はD&Sである。それなら恋愛DSをする人はエスエマーではないか?この質問に私は時々サブの中でこう言う人を見てきた。普通には恋人、プレイの時には厳しいご主人が欲しいと。。二人がそう合意したと言ったら私の知ったことではない。でも恋愛関係といったその瞬間に主従の概念がなかったら。。?バニラの恋愛にSMを調味料として添加するのと何が違うか。私は正直それに対して理解できない立場である。彼らが主張する恋愛DSにも一番基本となる主従の概念はいつも持っているのが正しいと思う。恋愛DSというのは韓国にしかない。恋愛DSの語源はヘンバからサブたちが自分を守ろうとして作り出した関係である。過去ヘンバがSMの世界に入ってドムのふりしてサブに主従の服従を強いて性を吸い取るとき、サブという理由だけでヘンバにも誤ったDSの始まりであることながらも絶対服従をしなければならない状況で自分を保護するために作り出されたと私は知っている。だが始まりはそうだったが、今はどうか。率直になろう。。恋愛もしたいし、一般的セックスでは満足できないし、でも絶対服従はいやだし。。それでDSはサブとして自信ないから少しは自由な恋愛DSがいい、または感情を隠さなくていいし許諾をもらわなくてもいいからDSもしながら同時に恋愛もする感じを望む欲?大抵はないが、こういう考えを持って自分がサブという位置のハンディキャップから少しでも息穴をおいてほしがるのを持ちたいのではないか自問してみてほしい。恋愛DSにせよDSにせよ主従の概念が基本とならないとそれはDSではない。DSのDSの意味すらしらないという話になる。もちろん、それでもお互いによかったらそれでいい。だが。。人の感情というのがスイッチみたいにつけたりけしたりして主従と恋愛の感情の正確な線を守るのは難しいことである。それでもって自分の感情を表現できて愛されたい欲が加えていざ自分のポジションが薄くなるかねない。その瞬間恋愛DSとバニラの恋愛にSMを借用するのとの差があいまいになってくる。上記したのと違って避けられない人間の感情の領域でみる観点はまた違う。始まりはきっとDSであったが、関係で自分も知らず相手を理性としてみる瞬間がいつの間にか来る。これはどんなDSの関係でも一度は起こりかねない。私もドムとして私のサブをある瞬間愛するようになったのを感じたことがあったし、その混乱にドムとしての心より男としての心が大きくなって結局主従の概念を自ら崩した時があった。思いっきり表現できたが、すぐ自壊感がよせ来た。なぜなら私はドムだからだ。この言葉が意味するのが何なのか知る人は知ってると思う。感情と性向の衝突。それは不可抗力と不可抗力の衝突である。これはある意味不可抗力の感情的な領域で、ご主人と奴隷の関係、そしてご主人と子犬の関係という上下の主従関係を乱す。こんな感情すらコントロールできる者なら彼は多分マスターもしくはスレーブではないだろう。それならこんな感情を持ってDSを維持する方法はないのか?われらはエスエマーである。われらはバニラとは異なる。その'異なる'という尊重をわれらは望んできた。異なるためバニラの基準であえて愛を表現する必要もないし、バニラの基準で恋の基準を立てる必要もない。それなら彼らとは違う私たちだけの恋もきっと存在する。私のサブなら私の上下の支配の中でも愛を感じられると思う。そうできるように。。PS.DSも恋愛DSもまたは一般的恋愛の恋も永遠に見えるが、そうではない時が多い。上下の主従の愛も平等な恋も一番重要なのはお互いの幸福のための満足である。それを尊重しており、それを絶対否まない。だがバニラではない私たちが恋愛ではなく恋愛DSというときはその中にDSの概念があるからである。それがないと恋愛DSすると言わないで堂々に私はヘンバと呼ばれてもいいから性向から離れて恋愛すると言ってほしい。