先程、日本能率進学研究会(いわゆる日能研、小学生向けの塾ね)の車内広告で、

「広島市長が去年の平和式典において『核兵器は絶対悪である』と発言した」事がクイズ上で紹介されていた。四角い頭を丸くするってやつだ。

その中で「東京大空襲」と比較して云々という文言があった。

おおむね肯定的な意見が多いようなので言わせていただく。末席を汚していたこともあるOBのザレゴトですよ。

どんな問題でも、出題者の意に沿った回答が正解だ。

核兵器だけが絶対悪であると言うなら、東京大空襲に善意があったことになってしまう。
そこで私は迷ってしまった。

それとも原爆は物質的存在であるものだから、人の行為たる東京大空襲には触れられる物質はないということで、絶対悪とは物質にしか適用できないとか、そういう哲学的な問題にしたいのか?
般若心経的には、爆撃という行為自体も、「行」という五蘊であるから、物質存在たる「色」と同等という考え方ですけれどもね。



東京大空襲に、善があったといっていいのか。
 →そりゃマズい。日本国民として、無抵抗の非戦闘員たる同胞を焼いた(当時の)敵性国家による絨毯爆撃を、正当化せしめる論に加担することはできない。

本土に爆撃を被るという、戦略上の大いなる過ちを犯した旧日本軍のペナルティは、国民の犠牲であった。
いまだに大東亜戦争が侵略戦争だったなんていう誤解のもとに論陣を張ってらっしゃる方もおられるようなので、ここで戦争の善悪を規定しておきたいと思います。
戦争アレルギーの罹患者が騒ぎ立てることは必定ゆえのことですから、ご容赦願おう。
戦争は政治の一形態ですから、戦争を悪と決め付けるのは、われわれ智慧のあるフレンズのやることではないね。そういうのは馬鹿なガキにやらせておこう。
同時に戦争を善と捉えるのにも抵抗はあるよな。戦争は最後の手段であるべきだし。なにしろ殺し合いだし、総力戦になれば国力は疲弊するし、でいいことはない。
しかし仕掛けられた侵略戦争には、銃を持って戦うことは人間の持って生まれた権利であるし、断固としてそうすべきである。
ああ、こちらから侵略戦争を仕掛けない、ということには同意しますよ。ただ隣国がミサイル撃ってきて、このままだと故郷に着弾するってときに、ただ座して死を待つかって、そういう議論はあると思うね。そこで事前に察知して、先制攻撃。これはもう人間のもって生まれた権利ですよ。誰も取り上げることは許されない。

ましてや武器が人を殺すはずもない。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
銃が人を殺さぬように、核兵器も使い方によっては天下の利器となりうる。
(誤解なきよう。抑止力としてのことです。核兵器ってのは実際に使うもんじゃなく、核抑止力によるパワーバランスで国家間の決定的な戦争を防止しようということ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
まあ実際に使っちゃった米軍はヤバいとしか言いようがないが。


そうして見ると原爆だけが絶対悪、という論調に破綻が見られるではないか。それこそ思考の停止ではあるまいか。
問題として不適当であろう。


歪んだ左翼的気質を持ち合わせているであろう出題者の脳髄を覗き込んだとき私は、
「原爆も絶対悪、東京大空襲も絶対悪、戦争ダメ・絶対!」
という陳腐な回答しか導き出す手腕を持たぬ。


原爆が絶対悪?
原爆は人を殺しません。人殺すのは人。

絶対悪、という言葉尻を捉えて分かったような気になってはいけません。
原子力を兵器化しない、という至上命題を噛み砕いて、広島市長は「原爆は絶対悪」と表現したのですよ。
そこに東京大空襲との比較を持ち出すバカがどこにいますか!
そういうバカに限って原爆と原発をかけて反・原発に利用するんだろ?

だいたいさあ、広島市長も言ってるじゃねえか、「原爆と原発は別物」ってよう。産経新聞より。
覚者ですよ、広島市長は。






左翼思想が日本を駄目にする。