大田原への道
2015年11月23日 大田原マラソンの事「いよいよこの時が来たか」2年前の雪辱を胸に、これまで辛く苦しい練習に耐えて来た。 その期間があまりに長く、あるいはそんな日は来ないんじゃないかとさえ思えたほどであった。 でも、それは本当にやって来た。 1週間前からヤフ-天気をチェックしては一喜一憂していたが、 結局、スタ-ト時の空は見事な”どぉ~んてぇ~~ん”(曇天)!分厚い雨雲に覆われ、いつ 降り出してもおかしくない状況。 やっぱり天気は味方をしてくれないようであったが、自分はこれまでにどんな状況でも確実 に完走する為のトレ-ニングを積んで来たし、リベンジする為だけにここまで来たんだし、 条件が悪ければ悪いほど、成し遂げた後の感慨も一入だろうと自らを奮い立たせ、感動の スタ-トを待った。。。待った。。。た。。。たっ。。あれっ?!前の方が走り出してるよぉ~? まだ号砲鳴ってなくない???(後で聞いた話では、ピストル君が思いっきりすかしちゃった みたいでした。。。) この様に、私の2年越しのリベンジを賭けた大田原マラソン感動のスタ-トは、不発の号砲 によって見事なまでに台無しにされたのだった。 多少動揺しつつも、他の観客に混ざってスタ-ト前の私の様子を動画で撮っているうちの相方 に軽くVサインをして、いざっ、スタ-ト!思い起こせば2年前、初挑戦の大田原。 屈辱的な33km地点での回収。。。 無情かつ無慈悲に私の前後のゼッケンを切り取ったおネェちゃんの無表情は、今も忘れない。 彼女にすれば、こちらの感情などはお構いなく、情けも慈悲も表情も必要なく、ただ機械的に 作業をこなすだけの役割であったのだろう。。。 ゼッケンを切り取られた私は「マスクをはぎ取 られたレスラ-は、こんな気持ちだろうか?」と訳の分からない事をボーっと考えていた。 当時の私は、ハ-フでも何とか100分を切れるようになった事もあり、ジジィになってから始めた マラソンの割にはそこそこ練習も積んで、それなりの成績を残せるようになったと自負していた。 ただ、初挑戦の大田原は夏場の練習中に首を痛めてしまい、2か月くらい全く走る事が出来ず、 「大田原は次にお預けかな」とボンヤリ考えていたが、10月初旬の白井市梨マラソンにチ-ム のマネ-ジャ-として付いて行った時に、会場の雰囲気や楽しそうに走るチ-ムメイトに触発 されて、何とか直前で息を吹き返し、首に通販で購入した変なサポ-タ-を巻いて、すれ違う ランナ-にはもの珍しそうな眼差しを浴びせられながら、リハビリ程度から練習を再開したので あった。 残り1か月半と、大田原に挑むにはあまりに短い期間ながら、出来る限りの事はした つもりだった。。。。。 正直なところ、大田原どころかフルマラソン自体、初挑戦だった当時の私は未経験者の無謀さ から「スタ-トしちまえば、あとは何とかなる」と勝手に決め込んでいたのだと思う。 結果は、想像をはるかに超える過酷なものであった。 24.6km地点で給水した直後の坂を 上り切った所で脚が終わってしまい大失速。 また「この先は延々と上り坂が続くと誰かのブ ログに書いてあったなぁ~」考えただけで心も終わってしまい、28km手前では完全に濁流を 渡り切ったあとの『走れメロス』状態で精も根も尽き果ててしまい、回収してもらえる33km地点 の道の駅まで、永遠と思えるほどの長ぁ~~い5kmをひたすら歩いた。 この頃には、私以外にも歩いてしまう人が何人かいて、うなだれた様子で同じ方向に歩いて 行く人たちの後ろ姿は、さながら屠所に引かれて行く牛のようであった。 こんなレ-スになろうとは!しかも自分が自ら進んで回収のバスに乗させてもらう事を願うとは! 情けなくはあったが、心身ともに完全に疲れ果てていて、そうする以外にやりようがなかった。 正直、ゼッケンを切り取られた事もその時はさほど悔しいとも思わず、回収バスを待つ間、近くに並んで座っていた知り合い同士らしき人たちの「今回で3回目の挑戦だったけど、またダメだった からもうこれでやめようと思う」と言う誠に寂しい内容の会話を聞きながら、私自身も、こんな体に 良くないイベントはもう懲り懲りだと考えていた。誠に月並みながら、人間の気持ちは極めて不可解なものである。 山登りの最中は、「何でこんなつらい事やってんのか」とか「もう2度と山には登らねぇ」などと 思いながらしばらくするとまた登りたくなる。 マラソンも同様で、大田原初挑戦が無惨な結果に終わってから数日が経った頃、メラメラと 悔しさが込み上げて来て、あのおネェちゃんの無表情は相変わらず脳裏に焼き付いていて、 「これはリベンジしかないっしょ」と言う気持ちになり、次は確実に完走すると言う決意を固めた のであった。 翌年は残念ながらエントリ-に失敗し、かなり拍子抜けしてしまい、トレ-ニングもさぼりがち、 また食生活も不摂生しがちになったりもしたが、脳裏に焼き付いたまま離れない”無表情”の お陰(?)か、気持ちが完全に切れる事はなく、本番1年以上前から身の入ったトレ-ニング を再開できた。2015年は年明けから2度フルマラソンを走ったが、1月 勝田 4時間16分4月 かすみがうら 4時間4分 とネットでさえ4時間を切る事が出来ず、「この2大会はとにかく人の数が多すぎて、自分の 走りなんて出来ねぇ~」などと言い訳をしながらも、サブ4の困難さを痛感し、パフォ-マンス の下がる夏場にどのようなトレ-ニングをするべきか、仕事よりも真剣に考えていた。 この頃(2015年5月)つけ始めた『大田原への道』と言う名のマラソン日記を今読み返すと、 自分自身が愛しくさえ思えて来る。 実は真剣に練習を再開した2014年秋ごろから、どうも心肺の調子が思わしくなく、練習中に 過呼吸のような状態になり停止してしまう事が度々あった。 それでも騙しだましトレ-ニング を続けて来たが、大田原のエントリ-が決まり、気持ちは昂りと焦りが入り混じるなか、練習 をやってもやっても全くパフォーマンスが上がらず、むしろ逆効果のように思われてきた6月 初旬ごろ矢も楯もたまらなくなり、それまでひたすら避け続けて来た診察を受ける事にした。尿検査、血液検査は普通の流れでスム-スに進んだものの、心電図検査が何かおかしい! 周囲が何やらへんな雰囲気だ。 美人の看護師さんがカ-テン越しに電話で医師に報告して いる。 「脈が少し遅いとか何とか。。。」 その看護師さんがカ-テンを開けて入ってくるなり 「うまく計測出来なかったので、もう一度検査させて頂いてもよろしいですか?」と丁寧な口調 で告げたものの、こちらが「うん」とも「すん」とも言わないうちから2回目がスタ-ト。 すると今度は、あまり美人ではなく結構なご年配の看護師さんや医師が2人、入れ代わり立 ち代わり横になっている私の側へ来ては脈をとったり、「以前から異常は感じていませんでし たか」等と質問をしたりして行くので、かなり不安になったものであった。 結果は「徐脈」。 通常60~100回/分程度打つはずの脈が、私の場合は30回程度しか なく、最悪、ペ-スメ-カ-埋め込み術が必要になると言われ、猛烈なショックから場所も はばからず「ガビ~ン」と声に出して言った。 とても50ヅラ下げたおやじの発言ではなかった。 その日、ホルタ-式24h検査とか言う物々しい器具を胴体に巻かれ家に帰って来た。 姿見 でその有様を見た時は「こんなんで、マラソンなんて出来るわけないじゃん!!!」と無意味 になる可能性が出て来たこれまでの辛い練習を思ってはヤケクソになり、ホルタ-何とかの 検査中である事も構わずひたすらやけ酒をあおった。 酔っぱらいながら、ペ-スメ-カ-を 装着してフルマラソンを何度も走っている方の記事をネットで見て、「まだ諦める事はないかな?」とつぶやきながら、自分の諦めの悪さを再確認したりした。このやけ酒のお陰(??)で脈が速くなったのか、結果は「特に異常なし」との事であった。 「おいおい、あんだけ人をビビらせておいて、異常なしかよぉ~」と突っ込みたくなったが、 お医者さん曰く、「苦しくなるのはほぼ間違いなくマラソンが原因であり、あなたの心臓はもう マラソンに耐えられないのだと思う。 止める事を強要する事は出来ないので、後はご自分 の判断で」との事。 薬も出ない、治療もしてくれない。 診察を受ける前と何にも状況に変化 はないままで、診察は終了した。 お医者さんには「はぁ、良く考えます。」と言いながら、心の中では「自分で判断して良いんなら、 もちろん続けます。 こんな訳の分からない事で今までやって来た事を無駄にしたくはないです からな」と言って病院をあとにした。この頃には、半ば意地になっていたんだと思う。梅雨明けから急に暑くなり練習も一段と過酷さを増したが、”絶対リベンジ”を胸にひたすら トレ-ニングを続けた。 以前から首に爆弾を抱えているし、心肺もあまり負担をかけられない 状況の中で、ランナ-ズを読み、ランニングを読み、うちのチ-ムの監督がたまにくれる日経 の切り抜き記事を読み、与えられた身体的条件、限られた期間の中で最善と思われる時間 を過ごした。 トレ-ニングは、基本的に週日に2回行うポイント練習に加え、必ず30~40kmの距離走を 5月から10月までの半年間は毎週末続けて来た。本番前の直近1か月は、社長をはじめ会社の皆さま、取引先の皆さまには誠に申し訳ないが 大田原の事しか頭になかった。 トレ-ニングの事、調整方法の事、栄養面の事、当日のタイムスケジュ-ルの事、着用する ウエアやアクセサリ-の事、レースプランの事、給水(スペシャルの配置、デコリ方法)の事 など、あ~でもないこ~でもないと、実に色々な事を考えた。 性格的な問題なのでどうしようもないが、傍目(はため)にはノイロ-ゼの1歩手前の感じで あったかも知れない。そしていよいよその時は来た。 ピストルの不発により間抜けなスタ-トにはなったが、2年越しのリベンジが始まった! 2年間を42.195kmで過ごす。 そんな深くて重みのあるレ-スにしたいと思った。<スタ-ト~10km>ラップ 10km通過 54:17最 初のロスは55秒。 前回はなかった力量別アルファベットのブロック分けで、私 は当然のようにD(最終ブロック)からのスタ-ト。 競技場出口恒例のチョイ混雑も あり、合計では約1:30ぐらいをロスした感じ。 まずは、突っ込み過ぎないように慎重に走る事を心掛けた。 7kmを過ぎて ライスラインに入って間もなく雨が降って来た。 スタ-ト前にゴミ袋を着て走る事 をしきりに勧めていた相方の助言を聞いておけば良かったかと思ったが、この時 はまだミストの様な雨が降ったり止んだりしていたので、却って気持ち良いぐらい にしか感じていなかった。<10km~20km> ラップ 52:1820km通過 1:46:25 ライスラインを進んで行くうちに、雨粒がどんどん大きくなり本降りに近くなって来た。 後半に向けて、ひたすら脚を残しておく様な走りを心掛けた。 他のランナ-の事は 全く気にせず、時計と距離表示板だけを見て走った。 そして14.7kmの給水所。 生涯初のスペシャルドリンクを無難に発見し確保。 朝の受付時はパウチが良いとか悪いとか主催者側も徹底されていなかったようで 多少もめていたが、結局パウチはNG、固形物はOKと言う事になった様なので、 ソイジョイは預け、ゼリ-はリストバンドに差し込んで走った。 それにしても、雨の中でずぶ濡れになりながら到着の遅いご主人を待つ健気な ドリンクには少し感動した。 。<20km~30km>ラップ 53:0330km通過 2:39:28相変わらず雨は降り続き、皆さん濡れネズミ状態。 23.7kmの打ち切りポイント は、9分前に通過。 ここを左に折れて、北へ向かって走り始めたところで雨に 加えて冷たい向かい風も気になり始めた。 スタ-ト前は、条件が悪ければ悪いほど成し遂げた後の感慨も。。。。云々と 呑気に思っていたが、実際にその状況になってみると結構キツくて、「神様ぁ~、 あんなアホな事はもう考えませんから勘弁してくださぁ~い!!!」と心の中で 無駄な神頼みをしたが、そんな事、願ったところで状況が変わるワケはなく、左腕 にはめていたリストバンドを下腹にあてがう様にタイツの中にしのばせて、冷えに よる便意を防いだ。 多少は老獪さが身についたか。<30km~40km> ラップ 52:4740km通過 3:32:15前回、地獄の様に長く感じた5km(28~33km)は、多少脚に疲れを感じ始めたも のの淡々と走り続けた。 練習の成果を感じられたが、やはり微妙に上っているらし くペ-スを維持するのが難しくなって来た。 そして思い出の33km打ち切りポイント! 主催者側にお借りした毛布に包まり、 アスファルトに体育座りして回収バスをボ~っと待っている2年前の自分の残像に 思わず投げキッスをして通過! さぁ、ここからは未知の世界だ。 実に色んな人のレポ-トやブログを何度も何度 も読み、書く人によってその内容が異なる事に苛立ちを覚え、ビビって、ビビって やたらと大きくし過ぎてしまった相手だ。 だが、大きくし過ぎた分、こちらも十分 な準備をしてきたつもりだ。 ここまで来たら、あとは全てを出し切るつもりで走る だけである。 35km手前と38km付近の長い坂はさすがにしびれたが、温存して来た体力の カケラで何とか乗り切った。 そして40kmポイントへ。 途中、腹痛の様な感覚 がありドキッとしたが、ペーをス落として何とかしのいだ。 気が付くと40kmまで 一度も歩いていない。 これは何回かフルマラソンに出場したが初めての経験で ある。40km~ゴ-ル 40kmの通過時間(3:32:15)から多少の余裕を感じたが、喜ぶのはまだ早い。 まだ2km強残っていて、その間に何かあれば全てがおじゃんと言う程度の余裕 しかないので、最後まで慎重に慎重に。。。疲れ切ってはいたが、頭の後ろの方が 冷静にそんな事を考え、やたらと次の距離表示板を待ち遠しく思いながら走った。そして競技場へ戻って来ると、入り口の所で相方が携帯を手に待っていてくれた。 「雨の中、おおきに」 競技場へ入ってすぐゴ-ルなら良いなと思っていたが、やはり 最後まで楽はさせてもらえず、トラックを3/4周してからゴ-ルと言う最後の試練を 与えられて、最近無いぐらいガッカリした。 それでもゴ-ルがあともう少しとなったところで最後の力を振り絞って走った。 このラストスパ-ト、自分のイメ-ジではボルト並みの風を切る疾走であったが、後で 相方撮影の動画をみると、ヘロヘロで、今にも前のめりに倒れそうな意地悪ばぁさんの ような走りでしかなく、「自分ってこんななの?」とえらくショックを受けた。 ともあれ、ついに2年間をかけたゴ-ル。 タイムは3:44:22。 全く大した記録では ないが、何とか目標は達成できた。ゴ-ルしてすぐに相方が近寄って来て祝福のチュ-はなかったが、おめでとうと言っ てくれた。 見ると心なしか目がウルウルとしているみたい。 思えば今回の挑戦にあたっては、私はこの人に色々と世話を焼いてもらった。 当然、前回惨敗した時には、その現場に居て、待っても待ってもゴールしない私を チ-ムメイトの方々と一緒に待ち続け、全く予期せぬ方向から手を合わせて 「ゴメン、バスが走るの遅くて!」と訳の分からぬ言い訳をしながら走り寄って来る 情けない亭主を目撃したあの日から、この長い2年間を一緒に過ごした。 練習にも 付き合ってもらい、体の事を心配してもらい、私が要求するマニアックな食事に対し て、首をかしげながらも文句一つ言わずに対応してもらい、そして、最後の最後、 スタ-ト直前のトイレ探し(2年前はトイレでこんなにストレス感じなかったよぉ~) からゴミ袋の着用指示まで、あんたはワシの母親か?と言うほど世話してもらった。 完走後、記録証を手にVサインする私の画像をグル-プラインでチ-ムメイトに送る 時、自分が出場した10km走の部で、自己新記録を出し、その記録証も一緒にグル -プラインに載せ、私の栄誉を半減させてくれちゃった事を除けば、私はこの人に感謝 すべきだろうと思う。あるいは、全く取るに足らないジジィの挑戦であったかも知れないが、それでも心から 応援してくれた家族、チ-ムの皆さま、そしてまた、雨の中で安全かつスム-スに大会 を運営して下さった大会関係者、ボランティアの皆さま方にひたすら感謝致します。 今、振り返ると「リベンジ」だの何だのと言うのは、あくまで自分が勝手に思っている だけの事なのであって、大田原マラソン大会自体は別段、厳格でなければ悪辣でも なく、いつもどぉ~んとそこに構えていて、そうして全てのランナ-を受け入れる。 ただ、この大会だけは 『きちんと練習してこなかった人には、あたしは少し厳しいもの になるわよ。。。(なぜ女性口調なんだ??)』と語りかけているように思われてならない。おわり