身延入山

3度目の諫暁も幕府が用いなかったため、日蓮大聖人は鎌倉を離れることを決意し、甲斐国(山梨県)波木井郷の身延山に入られました。身延の地は、日興上人の教化によって大聖人の門下となった波木井六郎実長(はきいろくろうさねなが)が地頭として治めていました。

大聖人は文永11年(1274年)5月に身延に入られました。しかし、しかし大聖人の身延入山は、決して隠棲(俗世間から離れて静かに住むこと)などではありませんでした。

身延において大聖人は「撰時抄」「報恩抄」をはじめ、数多くの御書を執筆されて、大聖人の仏法の重要な法門を説き示されました。特に、三大秘法(本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目)を明らかにされました。
さらに、法華経の講義などを通して未来の広布を担う人材の育成に全力を注がれました。

また、各地の男性・女性の在家信徒に対し、数多くの御消息(お手紙)を書き送って励まされています。一人一人が強盛な信心を貫き、人生の勝利と成仏の境涯が得られるよう、懇切に指導・激励を続けられました。