対話篇とモラトリアムの中で -3ページ目

対話篇とモラトリアムの中で

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おもしろいものを創りたい。

おもしろいと感じること。

笑えることや、楽しいと感じられること、興味深いことなど、その要因はたくさんあるが、ただ一つ決定的なことがある。

それは、「何かが起こりそうであること」である。

例えばこんな話がある。
僕が産まれる遥か前に浅間山荘立てこもり事件があった。簡単に言うと、激化した学生運動団体の連合赤軍が人質をとり軽井沢のある別荘に立てこもった事件である。

警察は、鉄球で家を破壊するなど、救出を試みるが、なかなか上手く行かず、特攻隊隊長が撃たれたりと、難航していた。

この時の様子はNHKで中継されたのだが、その視聴率は最高で75.5%を記録したと言う。

その中継はというと、常に動きがあるわけではなく、たまに鳴る銃声のほかは、誰もいない窓の映像がほとんどであった。それにもかかわらず、日本の75.5%がテレビにかじりついて見ていたのだ。一体何故なのか。

それは、「何かが起こりそう」であることだと言える。

この先に何かが起こりそうだと思わせることが、視聴者の心を掴んで離さなかったのだ。

ただずっとおもしろい場面が続くよりも、少しのおもしろいことと、何かが起こりそうだと思わせる時間が、人を夢中にさせるのだ。





これはテレビだけに言えることではない。

学校の授業でも友達と遊ぶときも同じだ。



この先生の授業は、先週はおもしろかった。今週もなにかおもしろい話をしてくれるかもしれない。

この前この人と遊んだらすごく楽しかった。きっと今日も楽しいことが起こるに違いない。


この人とは、いまはまだ友達だが、いずれかは恋人になるかもしれない。




「かもしれない」はいつも、自分をわくわくさせる。

これだから鈴蘭はおもしろい。


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