私も真央ちゃんのスケートは花びらがひらひら舞っているみたいに綺麗で優雅なので好きです。
一時期は試合は欠かさず見ていました。
私の母は真央ちゃんみたいに、ニコニコした穏やかな良い子が理想だったと思います。
同級生の友達がうちに来ると、「あの子はいつもニコニコしてめんこい(可愛い)なぁ」なんていつも言っていました。
一方、私は笑顔の無い子供でした。
幼稚園くらいまでは明るく笑った顔で写真に写っていたと思います。
でも、だんだんと毒気が回ってきて、小学校中学年くらいからは家で笑うことはなかったです。
学校ではムードメーカーみたいな感じで明るく振る舞っていましたが、家ではずっと真顔でした。
理由は何回もこのブログで書いていますが、
両親の不仲による家の緊張した雰囲気
父がちょっとしたことでも、すぐに機嫌を悪くして怒鳴ること
母からの無視、言葉の暴力
母から定期的に受ける苛烈な暴力
でした。
笑顔が無い私に、母は「笑え!」とも言っていました。
私が従って笑顔を作ると、「目が笑ってない、気持ち悪い」と言われたので、よっぽど歪な笑顔をしていたんだと思います。
小学校の卒業アルバムくらいなら、まだ笑顔でしたが、中学校くらいからは笑顔がなくなり、高校の卒業アルバムは完全に世の中全てを恨むような怖い顔をして写っていました。
母の理想の娘、浅田真央ちゃんでも私の実家に育っていたら、あんな天真爛漫な笑顔には絶対にならなかったと思います。
家を出てから一度だけ実家に帰った時、実家の戸棚に浅田真央ちゃんのグッズが飾られていました。
人の笑顔の芽をことごとく摘み取るようなことをして、出来上がった私は出来損ないだったからと、母は理想の娘を浅田真央ちゃんに偶像的に求めたようです。
私は母の八つ当たりの的では無いです。
よく母は、カーッと頭に血が上って、その感情のまま私に暴力を振るいました。
他の人には絶対そんな姿は見せません。
外面だけは良いのです。
娘の私だけが捌け口だったようです。
弟には暴力はふるっていませんでした。
家では私だけでした。
少し前にのぶみと言う人の『あたしおかあさんだから』って歌の歌詞が話題になっていましたが、私の母の暴力の根底には女性への過剰な自己犠牲と強いられた我慢があったと思います。
私の母は怠惰でしたので、家事で苦労したとかはあまり当てはまらないと思いますが、魂に染み付いているんですよね。
家のために、夫のために、子供のために『我慢』しなければならない。
家や夫には逆らえない、だから子供を捌け口にする。
そんな思考回路なんだと思います。
寺山修司の本にも、寒村の母は子供によく暴力を振るうとありましたが、古い昔の因習みたいなものなのでしょう。
『女性だから我慢しなければならない』そんな空気は今でも薄く残っているのではないでしょうか?
私は全ての…全てのしがらみが嫌で逃げました。
母みたいになりたくないから。
もう嫌な苦しい気持ちになりたくないから。
幸せになりたいなんて、そんなことは思いつきすらしなかった。
ただ逃げるしかない。それだけでした。
あれから10年と少し
今、私は毎日笑ってるし、少し笑顔を作れるようになりました。
顔は母と同じ作りをしてますが、大分違う顔になってきたと思います。