このタイトルを聞いたのは20年くらい前だと思います。
高校の国語の先生から授業中に聞きました。
その時は原田美枝子さんが主演した映画の話だったと思います。
あれから20年くらい経って、今度は篠原涼子さん主演でドラマ化をされるようです。
今晩放送されるようですが、まだ私は見ることができません。
高校の授業で、この映画の存在を知った時、例え映画の話でも、母親に暴力を振るわれてるのが私だけじゃないんだと、変に安心した記憶があります。
また、この映画を見れば、母親が私をいじめる理由がわかるんじゃないかと思ったのですが、未だに見ることができていないでいます。
多分ですが、私の母親と、このドラマに出てくる母親はまたちょっとタイプが違うんだて思います。
自分の中で消化できない感情をぶつけるしかできないのが、映画の母親なんじゃないかと。
私の母親は、またちょっとタイプが違っていて、感情を抑えられないのは一緒なのですが、さらに娘をいじめ抜く底意地の悪さがあるんですよね。
直情的な感情をぶつけることを突き詰めると、『殺すか殺されるか』になると思いますが、いじめるのは、直情的な感情だけではないと思います。
もう、こればかりは理解が出来ないので『底意地が悪い』としか表現できないのです。
もう少しで薬は無くなりますが、私が子供を持つことに積極的になれないのは、実はここにあって、
私が母親に暴力を振るわれて、家庭内でいじめられたことを乗り越えられなければ、同じ事を繰り返す可能性があるんです。
やっぱり、母親に対する感情が無いわけではないので、どこかできっと感情が爆発してしまう時があると思うのです。
それは多分直情的な感情を爆発させることで、どこかで娘に救いを求めるのかもしれませんが、それは悪い連鎖に代わりありません。
絶縁して10年経って、時間が解決してくれている部分もかなりあります。
でも、まだ完全に乗り越えられません。
遅いかも知れませんが、絶縁して10年以上して、家庭の暖かさや、思いやり、感謝の気持ちを知ることができました。
でも、まだ心の奥底に、自分が受けた不条理に対する憤りがあるのは事実です。
これが無くなった時、初めて私は人の親になろうと思うのだと思います。
今晩のドラマは見ないと思います。
物語にカタルシスを求めても、私の怒りは無くならないし、余計自分の不条理に捕らわれそうだから。