2021年3月28日(日)にVeats SHIBUYAで開催されたTEMPURA KIDZワンマンライブをもって、YU-KA、AO、P→★の3人がTEMPURA KIDZを卒業しました。

 

KARINが残ってTEMPURA KIDZというグループは存続しますが、8年間ともに活動してきた4人がそれぞればらばらに活動することになり、文字通り全員にとって新たな出発の日となりました。

 

この8年間を振り返ると、きゃりーぱみゅぱみゅのバックで奇妙なダンスを必死の踊っている姿に心惹かれたのがきっかけでした。本人たちがMCでも話していたように、きゃりーぱみゅぱみゅのバックダンサーから本人たちがよくわからないままアーティストとしてデビューしました。インタビューの受け答えもおぼつかなくて、MCが口パクなんてこともあったりして、「これは支えてあげなくては」、と上から目線で勝手に熱くなって応援していました。

 

そこから自分たちでMCができるようになった、とか、ボーカルもリップシンクから生で歌うようになったとか、観客を取り込んでライブを作れるようになったとか、海外でも観客を楽しませているとか、アーティストとして成長していく姿を見守るのはとても楽しいことでした。

 

残念ながらCDのセールスなど商業的には芳しい成果が出せず、デビュー当時に強力に後押ししてくれていたソニーミュージックをはじめとした大人たちの気配が薄くなり、リリースや大きなイベントの機会も徐々に減っていきましたが、その頃からの方がむしろアーティストとしての自我が芽生えたように感じました。自ら振り付けを作るようになったりTHE BLOCK PARTYで個々のメンバーのつながりで共演者を呼んで自らイベントをプロデュースしたりしていたのもそういう現れに感じました。他のアーティストへの振り付け提供、かりぴーとしてのモデル活動、DJ P→★としてのDJ活動、YU-KAのダンス舞台主演、AOの女優としての活動など、それぞれのメンバーがいろいろなことに挑戦している姿も頼もしく感じました。このままTEMPURA KIDZとして粘り強く活動を続け、いい形で企業のサポートできちっとお金が付けば、ダンスとボーカルとステージングで老若男女幅広いファン層を楽しませてくれるレベルの高いエンターテイナーに成長してくれるに違いない、そう信じていました。

 

ところが本人たちの数多くの挑戦と長年の努力の甲斐なく、なかなかそういうブレイクのチャンスを得られないまま今に至っています。そして、昨年のコロナ禍で活動も制限された中で、自分たちのこれからを考えて自問自答したり周りの人と話したり悩んだりすることが増えたのでしょう。その中で3人が出した答えがTEMPURA KIDZから離れて活動することだったのだと思います。本人たちが考え抜いた末に出した結論ですから、ファンとしてはそれを受け入れ、今後のそれぞれの活動を見守っていくしかありません。個人的にはアーティストとしての伸びしろはまだまだたくさん残っているので、このまま続けて欲しいとは思いますが、これまでに積み上げてきた実績やデビュー当時からの成長を考えると、十分にありあまるだけやってきました。全過程を修了してめでたく卒業するのにふさわしいです。卒業したメンバーには心から祝福し、これからの前途に幸多きことを祈ります。これまで気付いてきたエンターテイナーとしてのしっかりした土台がありますから、何にチャレンジしても観客を満足するエンターテインメントを作ってくれることでしょう。これからの活動を楽しみにしたいと思います。

 

ただ、8年間応援してきたグループがばらばらになってしまうのは寂しいものです。配信を観ている間にもこれが最後かと思うと名残り惜しくて涙が出てしましました。現場に居たらきっとタオルが絞れるくらい泣いたのではないかと思いますが。その中で救いだったのが、KARINが一人残ってTEMPURA KIDZが存続することです。TEMPURA KIDZという物語がこの日で終わらず、その続きを楽しみにできることはとても嬉しいです。これから先の活動については何も明らかにされておらず想像さえもできませんが、ずっと応援してきたグループがなくなるのではないことだけはファンにとってはありがたいことです。KARINをそして新しいTEMPURA KIDZをこれからも応援していきたいと思います。

 

将来、先に卒業したNaNaHoを含めてそれぞれの活動を通じて一回りも二回りも大きくなって、5人でいっしょに何かをやってみたくなった、みたいなことがあれば、ぜひその場にかけつけたいなと思います。きっとその頃にはコロナも収まっていることでしょう。

 

何よりも、この8年間たくさんの楽しみをくれたことには感謝しかありません。一時期はTEMPURA KIDZのライブのスケジュールに合わせて生活を調整するようなこともありました。ドイツに出張した際に週末にパリに日帰りでTEMPURA KIDZを観に行ったこともありました。夜行バスで早朝に出張先に戻って短時間の仮眠からの翌日の仕事は大変でしたが。よさこい見たさに高知に行ったのも楽しい思い出です。ファンレターを書いたのもTEMPURA KIDZが初めてです。そこまで夢中にさせてくれてありがとうございます。

 

当日のセットリストです。

 

M01 あっち、こっち、そっち。

M02 ストロボ

M03 好きだ 好きだ 大好きだ! 

M04 マスクマスク

M05 I Like It

(MC) 全曲やる宣言

M06 みんなのだんすうたメドレー

 すいみん不足

 さくらさくら

 グーチョキパーでなにつくろう

 ドナドナ

 コンピューターおばあちゃん

M07 ドリーミー・ワンダー

M08 ミイラキラー

(給水)

M09 Dance Number (Choreographer MAIKO)

(給水) 「反抗期じゃないし」映像

M10 CIDER CIDER (曲振りはハワイ・アンバージョンで)

M11 タピタピ

M12 たべちゃいたいの

M13 はっぴぃ夏祭り

(MC) これまでの思い出

M14 UKIYO

M15 Find A Way

M16 One Step

M17 LOLLiPOP

(本編終了)

(アンコールMC) 卒業メンバー挨拶+KARINからの手紙

EN1 Growing Pains

EN2 どんなときも。

 

TEMPURA KIDZとしては最長の2時間半近いライブでした。途中MCや給水のための小休止はありましたが、20曲以上それぞれについて4人で最後のパフォーマンスだからこそ全力のパフォーマンスでした。観客と一体感のライブを作るために意図的に崩していた振り付けも多くの曲でオリジナルに近い形に復元されていました。

 

最後に上演したから長い時間が経って、映像も残っていなくて、大変だった曲もありましたが、それぞれの曲に思い出があって、楽しませてもらいました。メンバーが時間をかけて作り込んだライブをもう少し長い時間反芻して楽しみたかったのですが、24時間で視聴不可になってしまいました。コロナ禍や遠方で観に行けないファンのための救済措置として正面カメラ1台だけの映像でしたので、作品として残すことはプロとしてはできないでしょうし、花火のように消えてしまうのもライブパフォーマンスの美学ですから、作り手として中途半端な形で残したくない、ということなのでしょう。数枚だけスクリーンショットを取ったので、この日の思い出を呼び起こすための糸口としてここに貼り付けておきます。

 

 

ライブがここ2年ほどよく1曲めに使っている「あっち、こっち、そっち。」で始まったのは嬉しかったです。

KARINが椅子に座って何か本を読んでいるうちにその世界に引き込まれていくという物語風の演出が好きでした。そしてそのKARINがTEMPURA KIDZの物語を卒業した4人の思いも受け止めて存続させていくところが意味深です。

 

 

ここ数年振り付けを自分たちで作ることの多かった彼女たちにとって、彼女たちのアーティストとしてのキャリアのきっかけを作ったMAIKOさんがダンスナンバーを振り付けてくれたのは、彼女たちのとっての最高のプレゼントだったのではないかと思います。

ステージの上下で対話している姿を見ると、一人前のアーティストとして演出家と向き合っている、そんなふうに見えます。そりゃあそうですよね。この4人、数多くの困難を乗り越えて成長してきた人たちですから。

 

 

 

アンコールでこの日のためのグッズのTシャツで出てきた後は、各メンバーの挨拶がありました。卒業するメンバーがそれぞれ、これまでのことに対する感謝の気持ちとこれからのことについて決意を述べたあと、KARINが送辞みたいに卒業するメンバーに手紙を書いてきてそれをステージの上で読みました。現場にいたら、めちゃくちゃ泣いてましたね、ワタシ。

 

最初のうちはP→★がいちばんKARINと仲が悪かったなんて話は初耳でした。これからもモデルとしては二人いっしょにメディアに掲載されてくれるといいな。

 

すべてのパフォーマンスが終わってから、記念撮影でライブは終演。配信もそこで終わりました。

 

書きたいと思ってメモに書き留めておいたことは、他にもたくさんありますが、長くなってしまったので、このあたりにしておきます。気が向いたら続きを書くかもしれません。

 

ライブ後はファンや関係者のツイートをサーチしてしばらく過ごしました。同じ思いで彼らを応援してきた人が多かったことが嬉しかったです。そうそう、配信は常時350名以上が観ていました。海外の活動だけでなく、日本のポップカルチャーの担い手的にPRされていたこともあって、配信の視聴者は国際色豊かでした。ワタシが拾えただけでも、アルゼンチン、メキシコ、ボリビア、ブラジル、タイ、英国、中国、米国、シンガポールそしてハンガリーからコメントが寄せられました。スーパーチャットによる投げ銭もけっこうありました。

 

最後に一部の関係者からのツイートをここに貼り付けておきます。

 

いや、解散してませんから(笑)。

 

RAMさん挟まれてたんですね。

 

長年応援してきたファンとしても、彼らをもっと多くの光が当たるところまで連れていけなかった、という悔しさがありますから、制作側でサポートしてきた人たちにとってはさぞかし心残りだったことでしょう。

 

結果として、5人がばらばらになる前にTEMPURA KIDZがブレイクすることはできませんでしたが、これからの5人の将来にとって、この8年間の経験は全然無駄ではなかったと思います。それぞれ進む道は違っても、この経験をバネに大きく飛躍してほしいと思います。自分の目の届くところで活動している間は、応援し続けます。