PTAからメールが来ました。対決の日は9日から。結果判明は今日から2週間後。居心地の悪い時期が2週間も続くのですね。梅雨の空にも似たスッキリしない気持ち。
どうか、7月21日には晴れ渡る夏の空が私を迎えてくれますように.....
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さて、昨夜の続きです。
昨夜は中学生から高校生くらいの頃の音楽について長々と書きました。
正直申し上げて、高校時代から今まであっという間に過ぎてしまったので、ここから先はペースが速くなるんじゃないかと思います。年寄りのノスタルジー、もう少しで終わります。
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高校生の高学年から大学生になると、ジャズを聴くのが「粋」と勝手に思い込むようになりました。
最初に買ったのはモダン・ジャズ・クアルテット(MJQ)の「ラスト・コンサート」でした。「朝日のようにさわやかに」をラジオで聴いたときに「本当に爽やかじゃん!」と気に入って小遣い貯めて買いました。
ベースの音よりもミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの透明感がとっても気に入ってました。
ただ、もう少し刺激的な音楽が聴きたいなと思っていた当時、ジャズの世界ではロックの要素を取り入れたフュージョンというジャンルが立ち上がっていました。確か、デイブ・グルージンとかリー・リトナーとかが軸になっていたように記憶してますし、ナベサダこと渡辺貞夫もフュージョンぽいことを演っていた時期でした。
そんな中で若手日本人ミュージシャンによる二つのフュージョングループが鮮烈にデビューを飾りました。
最初に聴いたのはこちら。
THE SQUAREの最初のアルバム「Lucky Summer Lady」から「Feel Deep Inside」。
このジャケットの裏側は、この写真の反対側のアングルから風でめくれたスカートに隠されていたパンテーが丸見えというとても10代で若かった私にはシゲキ的だったのをハッキリ記憶してます。
この曲でゴキゲンなベースを弾いてる中村裕二さんという方、今回の振り返りで今何をしておられるのか気になって調べてみたら、今はハワイで牧師さんをやっているそうです。人様のこととは言え、人生というのは面白いものです。
で、この時代のジャズで、ベーシストというと、外せない鬼才が一人居ました。
ジャコ・パストリアス。
ウェザー・リポートの大ヒットアルバム「へヴィー・ウェザー」から「A Remark You Made (邦題 お前のしるし)」
この曲をラジオでたまたま録音していたテープを、誰の何という曲か知らないまま何度も何度も聴いたのを思い出します。この曲が、有名なウェザーリポートの有名なアルバム「ウェザー・リポート」の中でもとりわけ有名な曲「バードランド」の次に収録されていたことを知ったのは、ずっと後のことでした。
どんなに存在感が強くても、所詮は脇役のベースがこの曲では時おり主旋律を任されてキーボード(後にジョー・ザヴィヌルと知る)やサックス(同じくウェイン・ショーターと後で知る)と同じくらいのウェイトで物悲しいメロディを奏でる。本当に本当に好きな曲です。
彼が若くして亡くなったのは知ってましたが、改めてそのときのことを調べてみると、酔っ払って飲み屋のガードマンに絡んで投げ飛ばされたときに打ち所が悪く、そのまま昏睡状態に陥り、家族の判断で人口呼吸器が外され永眠したそうです。惜しい。
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ジャズ、と言えば、こんな曲もこの頃に聴き始めました。
キース・ジャレットの「Country」。
FM東京だと思いますが、ラジオで流れていたウィスキーか何かのCMのBGMで流れていた曲です。
当時、「キース・ジャレットのケルン・コンサート最高!」というのが粋がってジャズが好きなフリをしている若者の合言葉となっていて、私もその例外ではありませんでした。
で、2:15あたりからの哀愁とか郷愁みたいなものが一杯詰まったウッドベースのソロが好きな訳です。Palle Danielsonという人だそうです。よく知らないけど、何度聴いても良いなぁ。
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この曲もFM放送から録音して、タイトルも演者もわからないまま何度も聴いていた曲です。
イエスとかキング・クリムゾンといったプログレッシブロックグループのドラマーだったビル・ブラッフォードのアルバム「One of A Kind」から「Five G」。ベースは、ジェフ・バーリン。
イエスもキング・クリムゾンも知らなかったのですが、何だか別世界に引き込まれるような音が好きでお気に入りでした。後に、「One of A Kind」を所有している大学の友人にアルバム全体を聴かせてもらい、今でもよく聴くのが「Fainting in Coil」です。別世界に引き込まれる感が「Five G」よりも強力なので。
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さて、時期は前後しますが、憧れの細野晴臣は元ミカ・バンドの高橋ユキヒロ(確か当時はカタカナだったと記憶してます)と「坂本龍一」なる謎の人物(はい、当時私は教授のことを全く知りませんでした)と、「イエロー・マジック・オーケストラ」なるものを結成した訳です。
1970年代半ばからの細野晴臣はオリエンタル・ムードの楽曲を好んで演るようになっていたので、今度もその延長かな、と高をくくっていたのですが、ラジオをエアチェックしたテープを聴いてビックリしました。
Yellow Magic Orchestraで「Firecracker」。
いや、依然としてオリエンタル・ムード満点というか、ますますパワーアップしている感じですが、それにも増してスゴいのがこのエレクトロな感じ。「テクノ」という言葉を初めて日本に知らしめたのがこのグループです。
この曲を初めて聴いたのは、2枚目の「ソリッド・ステート・サバイバー」が発売されて話題になった頃で、聴いてすぐ迷わず2枚とも購入して、繰り返し繰り返し聴きました。
ただ、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」で本人が言っていたように、この頃から細野晴臣のベーシストとしてのアイデンティティが薄らいで行きました。それに伴って、少しずつ私もYMOから遠ざかっていったように記憶しています。「散開」という言葉を耳にした頃には、「あ、そう」みたいな感じでした。
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大学生時代は、当時のキャンパスアイドル竹内まりやにハマり。彼女が山下達郎と結婚してアルバム発売のペースが落ちたときに飛びついたのが、松田聖子でした。同じ研究室の仲間が研究室内で流していたこの曲が「赤いスイートピー」でかなり彼女の楽曲に入れ込み始めた私の気持ちに油を注ぎました。
松田聖子、アルバム「Pineapple」から「P・R・E・S・E・N・T」。
これまた今は亡きアイドルポップの天才 大村雅朗編曲による、個人的に松田聖子の最高傑作だと思っている曲です。(個人的に2位は細野晴臣作・編曲の「黄色いカーディガン」)
シンプルなベースですが、好きです。こういうの。誰だかわかりませんが。
ギターが松原正樹っぽいですね。アルバム全体のクレジットに彼の名前が載っているのですが、この曲でしょうか?
曲別のクレジットを見るためだけに、このアルバムをTSUTAYAあたりで借りたくなる衝動に駆られてきました。(ケチな経済感覚に優れた嫁の監視が厳しいので購入は無理かと)
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会社に入ってからは一時期レコードを大人買いした時期もありましたが、学生時代よりも音楽を聴く時間は減りました。就職で茨城県北部に引っ越して、FMがNHKしか入らなくなった影響も大きいと思います。こうやって振り返ってみますと、会社に入る前の私にとってFM放送が新しい音楽の貴重な情報源になっていたようですから。
ただ、同期入社の奴が好きだったCASIOPEAのライブには何度か足を運びました。櫻井哲夫と神保彰が居た、黄金期とも言えるような時期でした。
野呂一生の曲を中心とした楽曲もカッコ良かったですし、4人とも演奏がスリリングなのに安定していて、素晴らしいグループでした。
当時のCASIOPEAのお約束と言えばこれです。
「もう一回!」を連呼するアンコール、櫻井哲夫のベースで始まる「ASAYAKE」。輝かしい曙を連想させる壮大なイントロ。そして、サビでは観客全員で拳を振り上げ「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とシャウト。ライブはいつも熱くて楽しくて、誘われる都度二つ返事で付いて行ったものです。
ただ、お互い家庭を持つようになって、職場も変わって、ライブもご無沙汰になっているうちに野呂一生と向谷実以外のメンバーに何度か入れ替わりがあって、更に数年前に活動休止になってしまいました。
またライブ行きたいです。
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その後は、あまりベースを意識して音楽を聴くこともなくなりました。
強いて言えばこんなのでしょうか。
クリス・ボッティの「Ever Since We Met」。
マシュー・ジェラードによるシンセベースが好きです。
しかし、やっぱりベースを中心に音楽を聴くということが20年くらい途切れていた訳です。
これを観るまでは。
実際に始めてまじまじと観たのは一昨年の暮にNHK-BS2で放映された「BUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!」の模様でした。元から重低音がよく利いたこの曲がNHKの放映では会場で使われた低音を強調したミックスに会場の反響音を少し拾って流してくれたので、ベースの音がとても印象的でした。
この重低音の利いた楽曲に乗せて、決して美人じゃない、ちょっと化粧が濃くて、それでいて気心は悪くなさそうなサーモンピンクの衣装をまとった3人の娘が歌い踊る様に釘付けになりました。
そして、これ。
で、今に至っている訳です。
こうやって振り返ってみますと、今Perfumeに夢中になっている背景に、カッコ良いベースの音を追いかけ続けた何十年も前の経験がしっかりとあるように思えます。
何か、自分の深層心理の中にある太目の弦と共鳴するように、Perfumeのために作られた中田ヤスタカの楽曲が心に染みます。
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はい、長い割にまとまりのない文章でしたね。
書いてる本人は過去に好きだった、そして今でも大好きな曲と出会った頃を振り返ってとても楽しかったです。
こんな自己満足だけの長文をもしも最後まで読んでいただいた方がおられたら、本当にごめんなさいとお詫びします。
お粗末様でした。
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二夜にわたり振り返った、大好きなベーシスト達:
-ポール・モーリア楽団の名前も知らないベーシストさん(達)
-デイヴィッド・ナイツ(プロコル・ハルム)
-細野晴臣
-ポール・マッカートニー(たぶん)
-後藤次利
-中村裕二
-ジャコ・パストリアス
-パレ・ダニエルソン
-ジェフ・バーリン
-松田聖子「P・R・E・S・E・N・T」のベーシストさん
-櫻井哲夫
-マシュー・ジェラード
-中田ヤスタカ
どうか、7月21日には晴れ渡る夏の空が私を迎えてくれますように.....
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さて、昨夜の続きです。
昨夜は中学生から高校生くらいの頃の音楽について長々と書きました。
正直申し上げて、高校時代から今まであっという間に過ぎてしまったので、ここから先はペースが速くなるんじゃないかと思います。年寄りのノスタルジー、もう少しで終わります。
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高校生の高学年から大学生になると、ジャズを聴くのが「粋」と勝手に思い込むようになりました。
最初に買ったのはモダン・ジャズ・クアルテット(MJQ)の「ラスト・コンサート」でした。「朝日のようにさわやかに」をラジオで聴いたときに「本当に爽やかじゃん!」と気に入って小遣い貯めて買いました。
ベースの音よりもミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの透明感がとっても気に入ってました。
ただ、もう少し刺激的な音楽が聴きたいなと思っていた当時、ジャズの世界ではロックの要素を取り入れたフュージョンというジャンルが立ち上がっていました。確か、デイブ・グルージンとかリー・リトナーとかが軸になっていたように記憶してますし、ナベサダこと渡辺貞夫もフュージョンぽいことを演っていた時期でした。
そんな中で若手日本人ミュージシャンによる二つのフュージョングループが鮮烈にデビューを飾りました。
最初に聴いたのはこちら。
THE SQUAREの最初のアルバム「Lucky Summer Lady」から「Feel Deep Inside」。
このジャケットの裏側は、この写真の反対側のアングルから風でめくれたスカートに隠されていたパンテーが丸見えというとても10代で若かった私にはシゲキ的だったのをハッキリ記憶してます。
この曲でゴキゲンなベースを弾いてる中村裕二さんという方、今回の振り返りで今何をしておられるのか気になって調べてみたら、今はハワイで牧師さんをやっているそうです。人様のこととは言え、人生というのは面白いものです。
で、この時代のジャズで、ベーシストというと、外せない鬼才が一人居ました。
ジャコ・パストリアス。
ウェザー・リポートの大ヒットアルバム「へヴィー・ウェザー」から「A Remark You Made (邦題 お前のしるし)」
この曲をラジオでたまたま録音していたテープを、誰の何という曲か知らないまま何度も何度も聴いたのを思い出します。この曲が、有名なウェザーリポートの有名なアルバム「ウェザー・リポート」の中でもとりわけ有名な曲「バードランド」の次に収録されていたことを知ったのは、ずっと後のことでした。
どんなに存在感が強くても、所詮は脇役のベースがこの曲では時おり主旋律を任されてキーボード(後にジョー・ザヴィヌルと知る)やサックス(同じくウェイン・ショーターと後で知る)と同じくらいのウェイトで物悲しいメロディを奏でる。本当に本当に好きな曲です。
彼が若くして亡くなったのは知ってましたが、改めてそのときのことを調べてみると、酔っ払って飲み屋のガードマンに絡んで投げ飛ばされたときに打ち所が悪く、そのまま昏睡状態に陥り、家族の判断で人口呼吸器が外され永眠したそうです。惜しい。
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ジャズ、と言えば、こんな曲もこの頃に聴き始めました。
キース・ジャレットの「Country」。
FM東京だと思いますが、ラジオで流れていたウィスキーか何かのCMのBGMで流れていた曲です。
当時、「キース・ジャレットのケルン・コンサート最高!」というのが粋がってジャズが好きなフリをしている若者の合言葉となっていて、私もその例外ではありませんでした。
で、2:15あたりからの哀愁とか郷愁みたいなものが一杯詰まったウッドベースのソロが好きな訳です。Palle Danielsonという人だそうです。よく知らないけど、何度聴いても良いなぁ。
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この曲もFM放送から録音して、タイトルも演者もわからないまま何度も聴いていた曲です。
イエスとかキング・クリムゾンといったプログレッシブロックグループのドラマーだったビル・ブラッフォードのアルバム「One of A Kind」から「Five G」。ベースは、ジェフ・バーリン。
イエスもキング・クリムゾンも知らなかったのですが、何だか別世界に引き込まれるような音が好きでお気に入りでした。後に、「One of A Kind」を所有している大学の友人にアルバム全体を聴かせてもらい、今でもよく聴くのが「Fainting in Coil」です。別世界に引き込まれる感が「Five G」よりも強力なので。
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さて、時期は前後しますが、憧れの細野晴臣は元ミカ・バンドの高橋ユキヒロ(確か当時はカタカナだったと記憶してます)と「坂本龍一」なる謎の人物(はい、当時私は教授のことを全く知りませんでした)と、「イエロー・マジック・オーケストラ」なるものを結成した訳です。
1970年代半ばからの細野晴臣はオリエンタル・ムードの楽曲を好んで演るようになっていたので、今度もその延長かな、と高をくくっていたのですが、ラジオをエアチェックしたテープを聴いてビックリしました。
Yellow Magic Orchestraで「Firecracker」。
いや、依然としてオリエンタル・ムード満点というか、ますますパワーアップしている感じですが、それにも増してスゴいのがこのエレクトロな感じ。「テクノ」という言葉を初めて日本に知らしめたのがこのグループです。
この曲を初めて聴いたのは、2枚目の「ソリッド・ステート・サバイバー」が発売されて話題になった頃で、聴いてすぐ迷わず2枚とも購入して、繰り返し繰り返し聴きました。
ただ、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」で本人が言っていたように、この頃から細野晴臣のベーシストとしてのアイデンティティが薄らいで行きました。それに伴って、少しずつ私もYMOから遠ざかっていったように記憶しています。「散開」という言葉を耳にした頃には、「あ、そう」みたいな感じでした。
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大学生時代は、当時のキャンパスアイドル竹内まりやにハマり。彼女が山下達郎と結婚してアルバム発売のペースが落ちたときに飛びついたのが、松田聖子でした。同じ研究室の仲間が研究室内で流していたこの曲が「赤いスイートピー」でかなり彼女の楽曲に入れ込み始めた私の気持ちに油を注ぎました。
松田聖子、アルバム「Pineapple」から「P・R・E・S・E・N・T」。
これまた今は亡きアイドルポップの天才 大村雅朗編曲による、個人的に松田聖子の最高傑作だと思っている曲です。(個人的に2位は細野晴臣作・編曲の「黄色いカーディガン」)
シンプルなベースですが、好きです。こういうの。誰だかわかりませんが。
ギターが松原正樹っぽいですね。アルバム全体のクレジットに彼の名前が載っているのですが、この曲でしょうか?
曲別のクレジットを見るためだけに、このアルバムをTSUTAYAあたりで借りたくなる衝動に駆られてきました。(
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会社に入ってからは一時期レコードを大人買いした時期もありましたが、学生時代よりも音楽を聴く時間は減りました。就職で茨城県北部に引っ越して、FMがNHKしか入らなくなった影響も大きいと思います。こうやって振り返ってみますと、会社に入る前の私にとってFM放送が新しい音楽の貴重な情報源になっていたようですから。
ただ、同期入社の奴が好きだったCASIOPEAのライブには何度か足を運びました。櫻井哲夫と神保彰が居た、黄金期とも言えるような時期でした。
野呂一生の曲を中心とした楽曲もカッコ良かったですし、4人とも演奏がスリリングなのに安定していて、素晴らしいグループでした。
当時のCASIOPEAのお約束と言えばこれです。
「もう一回!」を連呼するアンコール、櫻井哲夫のベースで始まる「ASAYAKE」。輝かしい曙を連想させる壮大なイントロ。そして、サビでは観客全員で拳を振り上げ「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とシャウト。ライブはいつも熱くて楽しくて、誘われる都度二つ返事で付いて行ったものです。
ただ、お互い家庭を持つようになって、職場も変わって、ライブもご無沙汰になっているうちに野呂一生と向谷実以外のメンバーに何度か入れ替わりがあって、更に数年前に活動休止になってしまいました。
またライブ行きたいです。
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その後は、あまりベースを意識して音楽を聴くこともなくなりました。
強いて言えばこんなのでしょうか。
クリス・ボッティの「Ever Since We Met」。
マシュー・ジェラードによるシンセベースが好きです。
しかし、やっぱりベースを中心に音楽を聴くということが20年くらい途切れていた訳です。
これを観るまでは。
実際に始めてまじまじと観たのは一昨年の暮にNHK-BS2で放映された「BUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!」の模様でした。元から重低音がよく利いたこの曲がNHKの放映では会場で使われた低音を強調したミックスに会場の反響音を少し拾って流してくれたので、ベースの音がとても印象的でした。
この重低音の利いた楽曲に乗せて、決して美人じゃない、ちょっと化粧が濃くて、それでいて気心は悪くなさそうなサーモンピンクの衣装をまとった3人の娘が歌い踊る様に釘付けになりました。
そして、これ。
で、今に至っている訳です。
こうやって振り返ってみますと、今Perfumeに夢中になっている背景に、カッコ良いベースの音を追いかけ続けた何十年も前の経験がしっかりとあるように思えます。
何か、自分の深層心理の中にある太目の弦と共鳴するように、Perfumeのために作られた中田ヤスタカの楽曲が心に染みます。
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はい、長い割にまとまりのない文章でしたね。
書いてる本人は過去に好きだった、そして今でも大好きな曲と出会った頃を振り返ってとても楽しかったです。
こんな自己満足だけの長文をもしも最後まで読んでいただいた方がおられたら、本当にごめんなさいとお詫びします。
お粗末様でした。
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二夜にわたり振り返った、大好きなベーシスト達:
-ポール・モーリア楽団の名前も知らないベーシストさん(達)
-デイヴィッド・ナイツ(プロコル・ハルム)
-細野晴臣
-ポール・マッカートニー(たぶん)
-後藤次利
-中村裕二
-ジャコ・パストリアス
-パレ・ダニエルソン
-ジェフ・バーリン
-松田聖子「P・R・E・S・E・N・T」のベーシストさん
-櫻井哲夫
-マシュー・ジェラード
-中田ヤスタカ