そもそも、私は昔からベースの音が際立っている楽曲に弱いみたいです。
この機会に少し自分の音楽の嗜好の変遷を振り返ってみたいと思います。

年寄りのノスタルジーなので、きっと面白くないと思います。それから、時代が前後している可能性もあります。ご容赦を。

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小学生時代は「ブルー・シャトー」とか「帰ってきたヨッパライ」とか「恋の季節」とか「走れコータロー」とかみたいな流行歌ばかり聴いてました。ベースという楽器には一切関心ありませんでした。

中学生になると、親が聴いてたイージーリスニングなどに関心を持ったりする訳で、そんな中でベースとの出会いの曲がこれ。



ポール・モーリアの邦題「エーゲ海の真珠」。
今聴いてみると、無茶苦茶古臭いのですが、自分の記憶していたよりもベースがカッコイイのにビックリです。当時イージーリスニングの世界では、エレキベースを軸にしたリズムセクションというのは珍しかったそうで、かなり先進的だったみたいです。

こちらは後にリメイクしたもの。今回振り返ってみて初めて聴きましたが、ベースのカッコ良さが2段階ぐらいアップグレードされていて感激したので、貼り付けちゃいました。



両方ともベースを弾いているのが誰かわからないのですが、このエレキベースを軸にしたアレンジの匠はもう4年も前に亡くなっているのですね。これも今回の振り返りで初めて知りました。ご冥福をお祈りします。

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中学生にもなると、ロックなども聴く訳で、こんな曲にも出会いました。



プロコル・ハルムの「青い影」です。
オルガンの音色とちょっとずつ音が下がってくベースが印象的な曲でした。

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さて、私の中学生時代というと、フォークソング全盛時代、井上陽水、かぐや姫といったちょっと生活臭いけど新しい響きのする音楽が大人気の頃、私が住んでいた東京都下の町の更に隣、八王子の呉服屋の娘が出したオシャレなレコードがちょっとした話題になってました。

$Scent of Perfume


荒井由実の「ひこうき雲」。

クラシックのアルバムと見間違えるようなジャケットもオシャレでしたが、封入されていた黒い上質な紙に銀色のインクで印刷されたイラスト入りのブックレットが何ともオトナでハイソな強い印象を与えてくれてました。あの感触は、LPサイズならではのもので、CDサイズじゃ味わえないだろうなぁ。

で、アートワークよりも更にオシャレだったのが楽曲でした。先ほどの「青い影」のちょっと似たタイトルチューンも好きでしたが、このアルバムのオシャレなイメージを決定的なものにしたのが、この曲でした。



「曇り空」。

当時、必ずしも好きな曲ではありませんでしたが、楽曲全体が持つ都会的でオトナなイメージは強烈でした。当時私の部屋だった6畳の和室のイメージじゃなくて、ツルツルの黒大理石のフローリングのイメージです。

このアルバムでベースを弾いていたのが細野晴臣。
素直に憧れました。

当時、テレビの音楽番組はいわゆる歌謡曲のためのもので、前述のフォークソングとか荒井由実とかが出てくる番組はとても少なかったのですが、ときたまこんな映像が流れたりすると、音声だけラジカセで拾って何度も何度も繰り返し聴いた記憶があります。



これが1970年代の半ばには、ものすごくハイカラでカッコ良く聴こえたわけですよ。今でもカッコ良いと思いますが。



1976年にはこんな番組もありました。荒井由実+かまやつひろし(当時「ああ良き友よ」が大ヒットしてました)+ティン・パン・アレーによる当時としては夢みたいな音楽特番でした。ラジカセで音声を録音して、更に再放送も食い入るように観た記憶があります。

しかし、当時家庭用VTRはまだ商品化されていないかされていたとしても発売されたばかりの超高級品だったような気がします。録画した人はそれを独り占めせずに後の世にYouTubeにアップするあたり、懐の深い方だと思います。敬意を表します。

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さて、中学生時代はクラスの女の子が好きだと言っていたビートルズなども聴いてました。



アルバム「The Beatles」、通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれている2枚組の2曲目だったと思います。

既に4人の活動がバラバラになってから作られたことから、根っからのビートルズファンにはあまり評判の良くないアルバムですが、ベースの音に弱い私はこの曲には結構惹きつけられました。でも、「レボリューション9」とか、どうしても好きになれません。

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テレビ放送とは時が前後しますが、1975年には、細野晴臣が主要メンバーの一人だったティン・パン・アレーが「キャラメル・ママ」というアルバムを発売しました。



アメリカでは普通にやってたのかもしれませんが、ブニブニなスラップ・ベースというのを初めて聴いてビックリしました。弾いてるのは後藤次利。この「チョッパーズ・ブギ」という曲で日本国内で広く知られるようになったことから、日本では「チョッパー・ベース」と呼ばれることも多かったそうです。

で、その後藤次利に引き付けられて購入したのが、当時彼が加入していたサディスティック・ミカ・バンドの「HOT! MENU」というアルバムでした。



やっぱり、この曲になってしまいます。

もう加藤和彦の自殺から9ヶ月経つのですか。めたぼedgeさんの追悼記事に対するコメントとして、こたつねこ(大阪)さんが、自ら命を絶つという形でこの世を去った彼に対して残された者の立場で厳しい言葉を浴びせていたのがとても印象的でした。

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長くなってしまいました。

ここから先、音楽との関わりが浅くなっていくので、あまり書くことはないかもしれませんが、続きはまたの機会に。