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今回は少しながいです。
読み返して居ないのでちゃんとした文章になってないかも?




前にこんな事を言っていた人が居たのを思い出しました。
誕生日は祝ってもらうのでは無く自分を産んでくれた母親に感謝する日だと…
その言葉を聞いた時は
確かになぁ~
とは思ってたものの…
そこまで考えた事もありせんでした。

自分自身今になってはもう伝える事も出来ませんが…

3.11の震災で多くの人が亡くなりました。
誰も予想も出来ない出来事で
気のまで普通に隣で笑ってた家族や友人などを突然失った方々が多いのではないかと思います。

震災から一年が経ち
自分自身大切な人が居なくなるのがどんなに辛い事なのかは
良くわかりますが…
初めは全く実感が無くて…

でもまだ
自分は
最期の約一年弱を一緒に
過ごせただけで
幸せだったのかな?
と…。

忘れる事はけして有りませんが
あんまり考えない様にはしています。
やっぱり思い出すと涙出ますから…

でも
いつまでも塞ぎ込んでる訳には行きませんからね。
父が1番辛かったはずです。

家族には強がった事を言ったりもしましたが…

そんな時
本当に友人に助けられました。
感謝感謝です。

もう
今更親孝行も
出来ないので
前向きに少しでも長生きする事が
今の自分に出来る精一杯の
親孝行だと勝手に思ってたりもします。



私は18で家を出て
24まで約7年近くの間好き勝手
やってきました。
どうしてもやりたかった事が出来たのも父には内緒で影ながら支えてくれていた母が居てくれたお陰です。

母は我慢強くて、弱音なんか吐かないし、頑張り屋で…

自分が1人暮らしをして居る時に
母はガンになりました。
一切誰からも知らされず…
その時は親戚伝いに聞かされました。
そを聞いて
直ぐ実家に帰り母親を怒った記憶がありす。父にも切れました。

その時の母の言葉は
(大丈夫‼そんな大袈裟な事じゃないし連絡しなかった。)ですから…

そうは言っていても
その時の母の姿を見た時は涙を堪えるのに必死でした。

抗がん剤の影響で髪は薄くなり
やせ細っていたから…

シャワー浴びてたら髪が抜けてビックリしてお父さんよんじゃった。なんて笑いながら話してた気が…

自分に心配掛けたくないのは分かりますが、子どもは言ってもらえないのが辛いんですけどね。

その後も何年かは
完治したかの様に元気に生活していたそうです。

私が町田に引越してから
ちょこちょこ両親揃って遊びにくる事もありました。

ガンが再発するまでは…

はい。
勿論この事も知らされず…

母は仕事をしながら治療を受けていたそうです。


相当仕事でのストレスもあったそうです。

私が父から知らされたのは
もう治療が出来ない‼
そしてその治療も意味は無く

父は医者にこんな話をした時
10月にどっか旅行にいきたいんだけど?

行くなら直ぐにでも行って下さいと。

その時父はもう母が長く無いのだと察知した様で自分に連絡して来ました。

自分自身その時働いていた職場も辞めていて次の仕事を探している時でした。

直ぐに実家に戻る事を決断したのが3月の頭でした。

引越しは二年前の3月13日
母もその時はキツそうだったけど
まだどこか元気そうで引越しの手伝いにも来てくれました。

それからは
みるみるうちに元気が無くなっていくのが見てわかる様になっていきました。

が…
そんな時、母も家族皆に希望の光が見えました。

それが
先進医療です。

もう治療が出来ない!って言われ諦め掛けていた時の事…

父がたまたま見たテレビ番組がきっかけで信州大学で
新たな治療を行っていると!

それから月に何度が信州大学まで治療に通う日々が続き、
誰もがこれは行けると思ってたのも矢先…

治療をしていても変化がだんだんと出なくなり
母も次第に弱っていき…

既にガンは身体中に転移……

最後はもう治療に行ける体力さえ残っていませんでした。

でも母には
その治療が希望で
自分はまた元気になれるのだと。

最期に
家族で母に嘘をついています。
許して貰えるでしょうか?

ずっと母は信州の大学に治療を受けにいく事を言っていました。

でももう治療も意味が無く、
約6時間も掛けて行ける体力もなかった時、入院していた病院の先生に頼んで、信州大学から薬を送って貰ったから先生に注射してもらえると…

11月29日の夜
父と兄と3人で母の病院に泊まり、昔の思い出話しをしていました。

そして夜中
母の呼吸の音で目が覚め
先生を呼び。

なんか詰まってるっぽいです。
そして痰などをとる機会で吸って貰っていました。

血っぽい色をしたものが出てきました。
そして…

11月30日
の朝方母は静かに亡くなりました。
まだ朝日が登る前の空はとても綺麗でした。


母の姿も
ただ寝ている様で
今にも起きて笑い掛けてくれそうな顔をしていました。


父は
自分にこんな事を聞きます。

お母さんは
幸せだったのかなぁ?

と…。

確かに
これから
なのに。

私や兄も
手が掛からなくなり

父が定年したら
色々と旅行のよていを立てていた
そうです。

幸せだったのかは
母に聞かないと本当のところ
誰にも分かりません。

でも
幸せだった‼



思いたいです。

産んでくれて
ありがとう。

そして
花嫁姿と孫の顔を
見せてあげられなくて



ゴメン……





最近この年になると

周りは結婚ラッシュ…

お祝いしたい気持ちは
勿論ありますが…

正直な所
何回か式に出ていると

最後の
手紙や両親への花束や挨拶など


見ていて
自分自身に置き換えてしまい
とても悲しい気持ちになる事がある。

自分は1番祝ってもらいたい
人に祝ってもらえないのだと…

この先
自分は結婚する事が出来るのか?

って…


自分では前向きに
頑張っていても

母が亡くなる
前には戻る事は出来ないのだから…




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