2019年12月 知らない強さ

当初の診察は、妻がまだアメリカにいたので両親に付き合ってもらった。主治医から病名を言われた時もそうだった。そこから今日に至るのだが、両親の病状への考え方がブレないのには考えさせられる。ここからは誤解をしないで好意的な眼で読んでほしいです。

高齢の両親がネットで調べることはなく、ただ主治医から言われたことを黙って理解しようとしている。しかも主治医の言ったことをいいように受け取っているようにも思えたが、当初から「こうなったのは仕方ない。それも人生だ。じゃあどうすればいいのか」と言うように前だけを向いて病気に向かい合っているように思えた。

一方で私はネットでたくさん調べた。調べまくったと言っていい。病気のこと、余命のこと、リハビリのことなど様々だ。なんで自分がこうなってしまったのか、どこかで止めることはできなかったのか。病気のことは、調べれば調べるほど怖い病気である記事がたくさんヒットした。

そんな時に妻の一言で思い直し、すごく気分が救われた。
「難病っていうから怖いけど…原因も対処もわかっていないということは、主治医もわからない中で治療しているってことでしょ?治し方がわからないってだけで、別に治らないって訳ではないんじゃないの?脳神経のことを今は全部わかっている訳ではないってだけで、この先どうなるかわからないじゃない。先生にもわからないことが起こり得るかもしれないじゃない?そうしている間に薬も開発されるかもしれないしね」

勇気づけられる一言だった。全くその通りだ。今の自分は筋力維持とかやれることをやるしかない。余命の年数を主治医から言われたが、あくまで一般論で例外も起こり得るし、自分がその例外にもなりうるのだ。待っている間に薬ができるかもしれないし、できなかったらタイミングが合わなかったんだなぁと思うようにした。会社では今までいろんなことをやってきたけど、今の自分がやること(やれること)は、少しでもストレスを減らして体力を維持することなんだと思ったら、少し気が楽になった。楽観的すぎると言われるかもしれないけど、今はそれくらいの方がいいのではないだろうか。

これを機にネットで病気のことを調べるのを減らした。会社を休んでいるので時間があって、ついついネットで調べてしまいそうだけど、グッとこらえることにした。

そうすると結構ポジティブに考える時が増えてきた。情報の量を制限することで考えを整理することが出来つつあるのかもしれない。思えば両親と同じような環境の方がいいのかもしれない。
「病は気から」と言うように患者本人の気の持ちようが与える影響も大きいのかもしれない。何もないのが実は一番幸せなのかもしれないと思うようになった。

理系男子の考え方とは合わないかもしれないけど、これもひとつの考え方だなぁと思うようになってきた。