101回目のプロポーズ

101回目のプロポーズ

夢に向かう私の道のり

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こんにちは、なこです。

8月は、
私にとって、特別な月です。

一生忘れられない、
ある出来事が起きた月だから――。



私には、
とても大切な一人の女の子がいます。

10歳近く年下のその子は、
私のことをとても大好きでいてくれて、
いつでも「なこちゃん、なこちゃん」と呼んで、
私を心から慕ってくれました。

仕事で知り合ったその子は、
いつも笑顔を向けてくれ、
年賀状や小さなメモやカードや、
いろいろな形で、
想いのこもった「ことば」をくれました。


その中でよく、

「なこちゃんが大好き」

と書いてくれました。

そうして、

「なこちゃんは、私の憧れです。
 私もなこちゃんみたいになりたいです。」


そうも言ってくれました。


その子と出逢ったのは10年も前で、
私も若く、
良くも悪くもいつもがむしゃらで、
目の前のことにとにかく一生懸命だった日々でした。


年下の彼女には、
そんなところが、かえって新鮮だったのかもしれません。


その子が職場を離れる時、
大泣きしながら、私と撮った写真。

後日、その子から写真と一緒に送られた手紙には、

「なこちゃんと出逢えて本当によかったです。」

と書いてありました。

それからも、
彼女は折に触れて連絡をくれ、
時には会いにも来てくれました。

そして、いつでも、私は彼女にとって、

「大好きな憧れのなこちゃん」

なんだと、そう言ってくれました。

それからしばらくした時、
私は仕事の上で、
一つの大きな挫折を経験しました。

「仕事を辞めたい」とか、
「向いてないのかな」という思いを一気にすっ飛ばして、

「もう死のう」

と思った、そういう経験でした。


でも、結局死ぬことなどできず、
私はボロボロになった心のまま、
毎日必死に仕事に行きました。

周りの誰も信じられなくなり、
完全に心を閉ざしたまま、
私はただ目の前の仕事を何も考えず「こなし」続けました。

大好きだった仕事、
大好きだった職場と仲間。

でも、もう何一つ心が動きませんでした。

けれども、本当は、一番嫌だったのは
自分自身でした。

毎日自分を責め、呪って毎日を過ごしました。

そんな時、
例の彼女から連絡があり、
「会いたい」と言われました。

何度か断った時、
彼女から、

「どうしてもなこちゃんと話がしたくて。
 なこちゃんに会いたいんだ。」


そう言われました。

私はその申し出さえ、
「忙しい」と言って断りました。

それからしばらくして、
職場で大きい行事があり、
そこに彼女が遊びにきました。

ずっと私を待っていた彼女と、
本当に久しぶりに話をしました。

そのとき、彼女は私に、

「私にとって一番大事で信頼してるのは
 今もずっとなこちゃんなんです。

 なこちゃんは、今も変わらず
 私の憧れです。」


そう言いました。


その言葉は、
完全に自信を失い、自分を憎みつづけた当時の私には
もはや受け止める余裕のない重いものでした。

そして、
私は彼女に、

「私そんなじゃないよ。
 私なんかじゃなくて、
 もっと周りの信頼できる人に
 相談したほうがいいよ。
 
 私、無理だから。」


そう言い放ちました。

その言葉を投げつけたとき、
私を見つめた彼女が
目に涙をいっぱいためてうつむいた姿を、
今も覚えているのです。


――それが、
彼女と会った最後でした。



3年前の8月のある夜、
深夜に、メールの着信音が鳴りました。

誰だろうと見ると、
彼女のアドレスでした。


なにげなく文面を見た私は、

硬直しました。


彼女のお母様が打ったもので、

彼女が亡くなったと書かれてあったのです。


動揺のあまり、
深夜にも関わらず、
すぐに私は彼女のお母様に電話をしました。

そうして、
その日、彼女が急死したことを知りました。

あっという間のことだったそうです。

話をしているうち、
お母様が、

「もしよかったら、○日までに
いらしていただけませんか。

まだ家におりますので」

とおっしゃいました。

私はすぐに日を告げ、
彼女の家に伺いました。



はじめて訪れた彼女の家。

――そして、

彼女は布団に寝かされていました。


「なこちゃん!」

と、いつでもはじけるような笑顔を向けてくれた、
その顔のままなのに、

彼女は、もう目を開けませんでした。



彼女の枕元で、
私は人目もはばからず号泣しました。

本当に、人前であんなに泣いたのは後にも先にもないくらい、
号泣しました。

そうして、

「ごめんね。」

と言いつづけました。


傍らにいた彼女のお母様が、
彼女に向かって、

「ほら、なこちゃん来てくれたよ。」

と言い、

「この子は本当になこちゃんが大好きで、
 いつも
『なこちゃんがね』『なこちゃんがね』って
 話してました。

 亡くなる数日前も、

 『なこちゃんどうしてるかなぁ。
  会いたいなぁ。』


 って、そう言ったんです。」

と言われた時、
私はもう何も言えず、ただ泣きました。



私は今までの人生で一度だけ、
大きな病気をしたことがあります。


――そして、
彼女が命を落としたのは、
奇しくも同じその病気でした。


どんなにつらかったろう、
苦しかったろう。

そう思うたび、
いつも私の背中を追いかけてくれた、

私が大好きだと、憧れだと言ってくれた彼女が、
その病気で命を落としたことに
胸が張り裂けそうな思いがしました。


会いたい、と彼女が何度も言ってくれた時、
私の心にあったのは、

「何でこんな私なんかに」

という思いと、

「こんな私のどこがいいの?」

という、苦々しさにも似た戸惑いでした。

「なこちゃんが憧れです」

と言われるたび、
苦しくて背を向けたことが、
どれほど彼女を傷つけただろうと思うと、
今でも、胸をえぐられるような気がします。



彼女が亡くなって1年が経ったある日、
突然本棚から1枚のはがきが落ちてきました。


見ると、それは、
亡くなる8か月前に彼女がくれた年賀状でした。

そこには、

「今もずっと、
なこちゃんが大好きです。」


と書かれていました。

最後に会った日から、
数か月後に来たその年賀状。

慕ってくれた彼女に、
石の礫(つぶて)のような言葉を投げかけた私だったのに、
それでも、

「なこちゃんが大好きです」

と言ってくれた彼女。



あんなに私を大好きでいてくれた彼女に、
私という人間を
たくさんの言葉で何度も肯定してくれた彼女に、

私は何一つお返しする言葉をあげられなかった。


それが、
今も心残りです。


彼女が天国に旅立った日、

――それは、私の誕生日でした。


8月が来るたび、
私は彼女を思い、何度も泣きます。


そして、

思うのです。


彼女が愛してくれた私を精いっぱい生きて行こう。

もう二度と、
自分を愛してくれる人に、
自分の弱さで背を向けないように。


そして、

自分で自分を裏切らないように。


彼女の死から、
私は2年間その職場に勤めました。

彼女が会いに来てくれた時には、
その仕事も仲間も、自分自身も好きになれなかった私でした。

けれども、
彼女の死によって、
もう一度その全てを見つめるようになりました。

なぜなら、

彼女は、そこで勤めていた私が
大好きだったから。


そして、
仲間や同僚や先輩が私にかけてくれた想い、
その仕事の価値に、
改めて、ようやく気づけるようになったのです。

でも、

彼女の死によって、
人生は、自分の意志とは裏腹に
突然断ち切られることがあることを
思い知りました。

だから、
悔いなく、
自分が本当にこの人生すべてをかけられるものに
向き合って生きていたい、

そう心から思うようになったのです。

そうして、

今目指しているこの夢を追うことを決め、
あの職場を去りました。

今でも、
あの職場や仲間や先輩は、
私にとって大切な宝物です。

そして、
私にそう思わせてくれたのは、
彼女でした。




今、目指している夢。

彼女が知っている、
あの仕事をしている私はもういないけれど、

彼女が「憧れ」だと言ってくれた私でいるために、
この夢から決して目をそらさず、
自分をあきらめずにひたむきに追いつづけよう。

この夢をあきらめることは、
彼女も、自分自身も裏切ることだから、

だから、この夢を「現実」に変えるまで、
決してあきらめない。

私の生涯で、
たぶん一番私を肯定し、
大好きでいてくれた彼女のために。


伝えることがとうとうできなかった、
彼女に伝えたかったことば。


あなたのことが、
本当に大切だよ。

いままでも、そして、
これからもずっと。

あなたに出会えて、本当によかった。




荒井由実「ひこうき雲」