昨日は友達と日本食を食べにいき、
というよりか日本酒を飲みに行き、
おいしい料理をつまみながら幸せを感じてきたってわけです。
4人で行ったんですが、結構食べましたね。
ハマチ、タイ、ヒラメ、マグロの刺身
ナスの味噌田楽(これはホントに美味しすぎて鳥肌立った。)
焼き鳥
焼きおにぎり(自分で七輪使っていい感じに焼ける。)
サバの塩焼き(脂がのってておいしかった~。)
焼きニンニク(たまに食べたくなる。)
イカの生姜焼き
等々を頂いたわけです。
完全に日本の居酒屋行った感じですねw
こっちではもはや天国です。
そのあとはみんなでバーに行き、
ウイスキーやら白ビールやら飲みながら、
ビリヤードで盛り上がり、
2時ごろ帰宅。
こっちの飲み屋さんはほとんど2時で閉店なんです。
たしか法律でそう決められていたような気がします。
それにウィスコンシンでは、
スーパーなどでお酒は夜9時以降買えません。
9時以降はオンリー飲み屋さんでしかお酒はget出来ません。
まったく不思議な、そして迷惑な決まりごとです。
なんでそうなったのか後で調べてみようかな。
そしてさっきネットでニュースを見ていたんですが、
産経新聞に東北人の我慢強さとその限界について触れている記事がありました。
~以下抜粋~
住民説明会は怒号が激しく飛び交う事態になるとの予想に反し、住民の反応は総じて静かだった。
「東北でなければ説明に来た政府の人間に『帰れコール』が相次ぎ、紛糾していた。内なる怒りはあるものの、我慢強い。東北気質だろう」(政府関係者)。実際、飯舘村と同様に計画的避難
に指定された川俣町の一部、山木屋地区の住民説明会で、「東北」を感じさせる場面があった。
「いつになれば農地の作付けを再開できるのか」と質問した農業の男性は、政府のあいまいな説明に「恐らくその程度だろうな、と想像していました」とあきれ顔でつぶやき、こう続けた。
「決して仮設住宅で補償金をあてにするような生活を誰も望んでいない。自分の食い扶持ぐらいは自分で稼ぐから、そういう道も模索してほしい。私たち百姓は1日に何時間も農地に四つんばいになって何十年も働いてきたんだから」
静かに淡々とした口調だった。東電や政府への憤りもあるだろう。その怒りをぐっとこらえながら、将来、どんな苦労が自分の身に降りかかろうとも耐える。そんな覚悟を感じた。
そして記事には壬生義士伝での吉村貫一郎の台詞が「農家の男性の底流にある信念と重なる」として引用されていました。
「南部の武士ならば、みごと石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けて、あっぱれな花こば咲かせてみろ」
僕の故郷である岩手は昔から度重なる飢饉や自然災害に苦しんできたところです。
江戸期の飢饉の際は食べるものが無かったために、
土を煮て不純物を取り除いたものを「土がゆ」として食べていたそうです。
土に栄養分を求めるまで追いつめられるという状況は、
現代を生きている僕には正直想像できません。
しかしそういった中でも
三閉一揆といった百姓側の要求がほぼ全面的に認められるという稀な出来事が起きた地でもあります。
そういう地理的、歴史的背景があるからこそ、
物静かで忍耐強く、そして頑固であると同時に心の奥底で確固たる信念を持っている県民性が形成されたのでしょう。
僕はそういう地に生まれてきたことを誇りに思います。
そしてどんなに苦しくてもその度に乗り越えてきた人々に、
今回の復興が成し遂げられないはずが無い。
東北を廃れさせてはいけない。
なぜならそこには、
東京にはもはや無い、日本人が忘れかけていることがたくさんある、と思うからです。