沖縄「慰霊の日」
戦後66年を迎えて、平和の祈りを捧げる。

人を守るために、命を犠牲にした偉大な先人たちを誇りに思う。

いまだに続く米軍基地問題を見ると、沖縄に平和がもたらされたとは感じないが
先人たちの犠牲があったからこそ今のようなのんびりとした時間が沖縄にはあるのかもしれない。

自分たちの手で国を守ろうとする姿勢を東電社長にも見習っていただきたいものだ。
なぜ自分たちの手で守ろうとできないのか。
無理だとわかっているからやらないのか。
わからない。

きっと原発問題は6月最終週の株主総会が終わると
悲惨な現状が公開されることになるにちがいない。

”安全””平和”

というキーワードは我々に”安心”を与えてくれる。
しかし、曖昧な”安心”は必要ないように私は感じる。
長いこと放置してしまってた
梅雨まっただ中の今日この頃...

自分で言うのも変なのだが、
自分の集中力には甚だ驚かされることがある。

6月に入って学校に行かなくなり、
採用試験に向けた勉強に追われる毎日。
子どもたちとお別れをする際には不意に感情がこみ上げてきた。

”やっと落ち着いてこの子たちと向き合えるようになったのに...”

”これをもっと教えたかったな。”

思い出すだけで悔しさがわき出してくる。

自分の引き出しの小ささを正面から味わう2ヶ月だった。
もっとこおしたい!と思うのに、具体化されないもどかしさ。
わからないことだらけで縛り付けてしまったことへの反省。

次に担任として子どもたちの前に立つ時は、両手を伸ばして子どもたちの前に立ってやりたい!
その想いを胸に日々努力をしている。

6月に入ってから読んだ本は既に4冊。
主に教育関係だが、1冊興味が湧いて買ってみた増田宗昭氏の本にはワクワクさせられた。
今に目を向けるのではなく、遠い先を見据えることで新しい世界が見えてくる考え方で成功したのがTSUTAYAなのだろう。
しかし、欠点も見えた。まぁ世代交代も近いはずだ。

少し話はそれてしまったが、
私は普段から本を読む習慣があるわけではない。
完全な勢い主義だ。
読みたいと思ったら、読む。
どっちかというと今は、引き出しを奥深くまで掘り起こそうという魂胆の方が大きいのかもしれない。
本には人が周りに知らせたいような話のネタが書き綴ってある。
それを読みふけることで人のネタや知識を拝借できないかと考えている。
もしや”引用”?
いや、拝借にしておこう。

こんなネタを話したらきっと子どもたちは食いついてくるだろう。
これを話したら子どもたちは気になって図書館に入り浸ってしまうんじゃないか。

考え出すとニヤけてしまいそうだ。

話してしまいたいが今は封印する、次に教壇に立つ時まで。

まぁ俗にいう”欲求不満”なのかもしれない。
だとすると、今は”禁欲”をしようと思う。

たくさんの迷惑をまわりにかけているしまっていることはわかっている。
しかし、目標が見つかった以上持てる力を注がずにはいられない。
今に満足せず、もっと明るい世界

3月14日、無事に大学生活を終えました。
12日に発生した東北地方太平洋地震の直後ということで、
式の冒頭で出席者で被災者の方への黙祷を捧げました。
地震で多くの方が亡くなられ、なんでもない1日が一瞬にして奪い去られてしまったことが連日報道から伝えられています。
自然の脅威を前に何もできない自分の力の無さをあらためて実感しました。
今はただただ一人でも多くの方が救助されることを祈るしかないです。

大学生活の集大成としてまとめた卒業論文の中で、
”幸福な生活を、地域コミュニティによって作り上げる取組みが積極的に行われている日本国では、
どんな災害・社会を体験したとしても崩壊することなく、守り続けられていくだろう”
と書きました。
被災地の生活を見ていて、このことを思い出しました。
日本人は、自助の精神という国民性を持っています。
私はこの国民性を大変誇りに感じ、大切なことだと思っています。
人と人が手を取り合って明日に向かって歩いていってほしいです。

私は小学校の時に阪神淡路大震災を経験した。
中学校の時には、9.11アメリカ同時多発テロを経験した。
災害と隣り合わせのなかで生きていることがわかります。

今、生きていることに”感謝”し、災害に備えた準備を我々もしなければならないものです。

“晴れて”というフレーズはふさわしくないので避けますが、
大学生活4年間の間に支えてくれた家族や彼女、多くの友人や、その周りの方に
感謝の気持ちを忘れずに、次の一歩を踏み出したいと思います。

心の底から

ありがとう。