北陸の小京都と言われる田舎町
雪国に漸く春が訪れた
昭和の半ば
37年3月20日
私は9時のサイレンと共に産声をあげた

家族全員が初めての女子の誕生に喜び
やっと我が家に笑顔が戻った

二年前に
真ん中の兄を交通事故で亡くし
悲しみに包まれた我が家に
笑顔が戻った
殊の外、父は女子の誕生を喜んだ

父は石工の親方を営み
我が家に、一町歩程の田があった為
母は、農作業と
働いている人達の賄いをし
生まれたばかりの私は
近所の散髪屋さんに、昼の間は
預けられた。

父は母に
『ウラが(俺が)迎えに行くで
 お前は行くな』
と言い
この娘は日本一のべっぴんさんになるんや
と親バカ振りを遺憾なく発揮した

私が生後二ヶ月になる三日前に
やっと幸せになった我が家に
その日が
容赦無く嵐の様に、襲った。

37年5月17日
兄が日本脳炎の予防接種をしたが体調が悪くなり
父は
バイクで町医者に薬を取りに行った帰り道
小さな川にバイクごと転落し
打ち所が悪く
我が家に父が帰って来た姿は
変わり果てた姿となっていた。
祖父も祖母も途方に暮れた
乳呑み児を抱えた母は、27才
7才の兄は、それを漠然と受け止めるしか
無かった。
そのお葬式は
重い雰囲気に包まれた
叔父は
7才の兄に
『父ちゃん
死んだな』
と言うと
兄は
『うん』
としか言えなかった

再び我が家は
重い暗い空気に包まれる事となった