前回の続き

 

 

母のために救急車を呼ぼうとバタバタしていると、

 

父:「近所が見てるから呼ぶな」ポーン

私:「母の体と自分の体裁とどちらが大事なの?」

父:「なら、音を鳴らさないで来るように頼め。」

私:いい加減にしてよ!

 

こんなやり取りで、出てきましたよ‼

 

蓋をしていた感情

 

心の中で叫ぶ!「くそおやじ!大嫌い!顔も見たくない!」

 

こんな時”他人は変えられないから自分が変われば良い”  

 

なんだけど・・・・・・・

 

この感情にとらわれて抜け出せない。

 

例えるなら、立てば足の着くプールで溺れそうになりもがいている様な構図

 

今まで学んできた事の何をあてはめたらいいんだろう?

 

ひとます、”ホッとする”をやろうとするが、ホッとできない!

 

瞑想も集中できない!腹立つが止まらない。完全に飲み込まれている。

 

どうしよう?ゲロー

 

腹立つが止まらないなら仕方ない。

 

腹を立てよう!

 

この怒りや恐れ、哀しみを感じ切ってみる。

 

書きなぐり、叫びまくり、泣きまくった。

机を叩き、足踏みしたり。

出なくなるまでやってやる!という覚悟で始めるのだが、意外と長く続けられない。

叫べなくなり、泣けなくなる。

 

これでホッとするができるようになりまして、お風呂でホッ。音楽聞いてホッ。好きな野草や花を見てホッ。

 

でも又、怒りが出てきたりしたけど、感じ切るを根気よく繰り返しているうちに小さくなってきたの。

 

丁度、このころ私はかめちゃんのセンターピースを受講している最中だった。

 

そこでの学びで大きな気づきがあった。

 

それは、”勝手に、自分の理想の父親像と大きく異なる実際の父親像を比べて失望していたのは私自身だった。”という事。えーん

 

理想とかけ離れている父のもとに生まれたことに対して負の感情を抱き、

 

そんな父を持つ自分を恥ずかしいと思っていた私こそ他人軸だ!

 

世界は自分で創っていて理想でない父を持っているという私の意識が現実を創っている。

 

それなのに、自分ではなく、自分の不安や恐れから父を責めていたクソ野郎は私。

 

恥ずかしい奴は私だ!

 

自然と受け入れられた。クソな自分と向き合う気持ちになれた。

 

「ごめんなさい。」

 

 

これが分かった時、一枚皮が剥けた様な軽さが感じられたよ。

 

 

 

マシュマロまこでした。