自身の旅の日記、2017年の滋賀・京都旅の終盤でストップしてしまいました。

 あと2年分でリアルに追いつく所でしたが、コロナで仕事も生活も一変。この8年で色々と変りました。DMATの出動も経験し既に引退、剣道も七段を目指しています。プロフィールも更新しなければです。メモや予定表を頼りに自己満足の思い出日記を再開しようと思います。

 2017年11月1日、所用で東京に行った帰りちょこっと鎌倉によりました。「鎌倉殿の十三人」はまだまだ先の話、当時の私の鎌倉は「草燃える」「北条時宗」「太平記」「義経」からのイメージです。

 たぶん、一人で来たのは初めて・・・

 鎌倉駅から若宮大路を超え本覚寺へ

 どうやら裏門

 本堂(東身延)

 鎌倉鬼門鎮守のため建てられた夷堂が始まりで、天台宗から日蓮宗となり二代目の日朝上人が身延山から日蓮の骨を分骨したので「東身延」と言われ、日朝上人は眼を治す仏とも呼ばれています。

夷堂

 もともとは、仁王門のあたりにあったものを本覚寺の中に移したそうです。江の島七福神の一つ「夷様」が祀られ商売繁盛や縁結びの神として知られます。夷堂前の社務所で御朱印を貰いました。(300円)

日朝上人

仁王門と阿形像

夷堂橋の碑

 この辺りに夷堂があったらしいです。滑川にかかる夷堂橋を渡ると小町大路となり、左手に妙本寺題目寺号標の大きな石碑がありその先に妙本寺総門が見えます。

妙本寺の総門

 総門の右側には夢殿のような建物がありますが比企谷幼稚園です。このまま、まっすぐ進めば二天門や祖師堂ですが、少し寄り道で右に曲がりました。

常栄寺

 2分ほどで「ぼたもち寺」と呼ばれる常栄寺があります。日蓮が、龍ノ口の刑場に連行される時、ここの桟敷の尼が胡麻入りのぼたもちを献上したところ刑が執行される直前に光る物体が出て刑が中止された逸話に由来するお寺です。

ぼたもち寺常栄寺縁起の絵

比企能員邸址の碑

 急ぎ、妙本寺総門に戻りました。この辺りは「鎌倉殿の十三人」では、佐藤二朗さんが演じた比企能員の一族が住む谷戸(やと)があったことから「比企(ひきが)谷(やつ)」と呼ばれていると妙本寺ホームページにあります。「比企の乱」が起こった場所と思うと感慨深い気持ちになります。

方丈門をくぐらず真っ直ぐ進みます

階段を上ります

二天門が見えてきます

二天門

多聞天と持国天

 二天門は、仏法を守る四天王のうち二天で守っているので二天門と呼ばれます。妙本寺二天門は祖師堂に向かって、左が三叉戟を持つ多聞天(毘沙門天)、右が宝剣を持った持国天です。欄間の龍の彫刻の彩色が美しく天井にも龍が描かれています。

祖師堂

一幡の袖塚

 頼家(鎌倉幕府二代将軍)と若狭の局の間に生まれた一幡も「比企の乱」のさなかわずか6歳で命を落とします。焼け跡から一幡の焼け残った袖が見つかり家臣がその一部をここに埋めたそうです。源氏の宿命かやるせない気持ちでお参りしました。

更賜寿命(きょうしじゅみょう)

 妙本寺は法華経の一説を記した御朱印を頂けます。私は寿量品(じゅりょうぼん)第16の文で「更に寿命を賜え」と読み、法華経を信受し実践する功徳として生命力が増し寿命が延びることを意味する「更賜寿命」の言葉を頂きました。現在は全て書置きのようですが、直書きで頂けありがたく思います。(寺務所で頂けます)

蛇苦止堂(じゃくしどう)

 本堂、寺務所から方丈門をくぐり左に進むと(寺務所の裏手)蛇苦止堂があり、若狭の局を供養しています。比企の乱から50年後、七代執権北条政村の娘が夜な夜な高熱を発しうなされて、うわ言に「私は若狭の局である。井戸に身を投げたが蛇に姿が変わってしまい成仏できず苦しい。」と言ったとのことで、政村はお堂を建て供養し娘も苦しまなくなったと言う逸話があります。

 妙本寺は比企能員の末子で能本(よしもと)が幼少で京都におり比企の乱を免れ、後に日蓮に帰依、一族を供養し妙本寺が始まったとのことです。妙本寺は日蓮宗の霊跡本山でまだまだ見たい所がありますが、今回はここで後にし、若宮大路に戻り段葛を上りました。

二の鳥居と段葛の碑

三の鳥居と執権邸旧跡碑

 若宮大路に戻り二の鳥居から段葛を10分弱進むと三の鳥居があり鶴岡八幡宮の楼門が見えてきますが、右に曲がり5分位で宝戒寺前の北条執権邸旧跡碑に着きます。碑文には「昔この地に北条氏の小町邸があり、北条高時が朝な夕なに宴会をして褒美の品を山のように投げ与えた」とあります。太平記の片岡鶴太郎さんを思い浮かべます。

宝戒寺本堂

聖徳太子堂

得崇大権現堂

大聖歓喜天堂

地蔵尊

 宝戒寺は後醍醐天皇が北条氏滅亡後その霊を弔うため、足利尊氏に命じて建てられました。ご本尊は「子育て経読み延命地蔵」様で、春の桜、夏の百日紅・酔芙蓉、秋の萩、冬の梅・椿が有名な花の名所です。今日は残念ながら花はありませんでした。次は、花の時期に、そして東勝寺跡や高時腹切りやぐらなどを訪ねることに思いをはせ鶴岡八幡宮に向かいました。

太鼓橋(赤橋)

 三の鳥居からすぐ源平池にかかる太鼓橋。太平記で勝野洋さんが好演した赤橋守時の赤橋流は、太鼓橋(赤橋)の近くに屋敷があったことに由来するそうです。東が源氏池、西が平家池ですが、時間も蓮もないので急ぎ進みました。

舞殿

大イチョウ

 2010年3月10日樹齢1000年と言われ鶴岡八幡宮のシンボルでもある大イチョウが倒木しました。静御前が舞い、実朝暗殺、公暁の「隠れイチョウ」とも呼ばれ、鎌倉の歴史を見てきたんだろうなと思うと残念ですが、残った根から新たな芽が出てきています。

上宮楼門

やっぱり鳩

御朱印

 また、駆け足になってしまいました。今度はゆっくり来たいと思います。鶴岡八幡宮や小町通りは混雑しているので、しっかり下調べしていきます。